臨床で感じたことのコラムです。
コラム臨床で感じたこと
10/5に肩こりについてアップしたのですが、その原因について姿勢を大きく取り上げました。
今回はストレスからくる肩こりについて。
ストレスも肩こりの原因になるんだな~と実感させられたのは2人の若い白人男性をみた時でした。
1人はアメリカの中部のど田舎(失礼)から来日して3ヶ月も経っていない、という人でした。
彼は全く日本語が話せず、日本人の友人を連れて来て通訳をしてもらいながらの治療だったのです。
彼の最初の自分の症状(この未知の痛み)についての感想は肩の骨折ではないか、との事。
友人と話していて分かったのですがただの肩こりでした。それほど、肩こりの経験が無く、恐怖の症状だったようです。彼の友人によると人が少ない田舎から、全く話が通じない外国に来て端で見ていてもかなりのストレスを常に感じているとの事。治療の後、それを説明し納得してもらうのにかなり骨が折れました。
2人目は対照的に日本語ペラペラ。英語なんて忘れましたーなどと軽口を叩くオーストラリア人でした。
彼は来日して6年を超え、日本人を交えて働く環境で言葉も流暢な陽気なオージーのストレスは、交通事故の後遺症でした。事故後の検査で打撲の程度も軽く、骨に異常無しとの診断だったのですが、それ以降、彼を今まで経験をした事の無い恐怖の痛みが襲います。肩こりです。
以前から私は知識として知っていたことを彼に質問してみました。
「英語に肩こりという固有名詞は無いの?」
「ん~、無いネ。日本に来て初めてそんな言葉を知ったヨ」
「じゃあ、肩凝った時、どう言うの?」
「肩は凝らないヨ」
「じゃあ、今のあなたの状態をどう表現するの?」
「う~ん、Backpain 」
まず、彼ら欧米の白人は肩が凝らないらしい。そして、それでもそういう状態になったら肩~腰までを指す非常に面積の広い背中の痛み、という表現を持ってくるらしいのです。
彼らはストレスがキッカケで肩の凝りを意識し出し、それに意識が集まると症状が顕在化し慢性化していったようです。
肩を触ったらバンバンに張っているのに、肩こりを感じないという人が周りにいませんか?
日本人は昔から身体の部位を表現に使うことが多いそうです。
肩で風を切って歩く、肩の荷が降りる、etc。それだけ身体の部位に意識を持ちやすいのではないでしょうか。
肩が凝っている、と意識すればするほど肩が凝る。そういう肩こりもあるように思えるのですが、いかがでしょうか。[裕]
アロハカイロ&フットパラダイスが六地蔵に移転して早1ヵ月。皆様には駅に近く交通の便が良いということで喜びの声を戴いています。足をお運びいただいた方々には大変感謝しております!今後とも宜しくお願い致します。
さて、私達アロハカイロ&フットパラダイスでは、あるこだわりを持ってやっています。
それは、あくまでも『手』を使うこと・・・。カイロプラクティック、リフレクソロジー、フットケアによる治療は全てマシンに頼らず、手だけで行います。そして、私の手がけるオーダーシューズもあくまでも手作り。
人間は何故人間なのか?大昔、4足歩行だった動物が後ろ足2本で立って歩き、前足を手として道具を使うようになって脳が発達し、人間として発展してきました。その人間が手を使って知恵を働かして、後々便利な機械を産み出してきたのですが、現在、人間は便利な産物に頼って歩かなくなり、手を使わなくなり、工夫して考える事も忘れてしまった人が沢山いると思います。歩かなくなると血の巡りが悪くなり、脳にも新鮮な血が送れなくなります。
手を使わず頭だけで考えようとしている頭でっかちではコンピューターみたいなもの。
私達には人間として生まれながらに手にしている感覚を大切にしなければならないと思います。
よく考えてみてください。子供の時に親に「お腹が痛い」といえば、手でお腹をさすってくれたし、「どこかにぶつかった」と言えば、ぶつけたところを手で撫ででくれたと思います。『手当て』という言葉はそういうところから発生してるのではないでしょうか?また、物を作る・・・この原点は手にあると思いませんか?人間らしく生きる。2本の前足が2本の手となった時点で、その手で判断認識することも人間には課せられたと思います。手は使えば使うほど感覚が鋭くなります。
自分とは独立した別物と思われるくらいに、様々なコトを感じ取っているのです。
私達は、なるべく自然に近いカタチで健康を保ち生活していきたいと思い、この手技療法、手作りにこだわりを持っています。
自分の心身の健康作りにそういった意味でも関心のある方には是非一度お立ち寄りいただきたいと思います。
さて、話はちょっと変わりますが、現在、ここ治療院には南国アロハシャツとともに、窓にクリスマスツリーが同居しています。
下が湘南しんきんのATMなのでそのライトが灯っている9時までは目立ちませんが、その後から11時まではキラキラ頑張っているのでお近くの方は夜の散歩がてら見てみて下さい。ちょっと変わった輝きをしています。[素]
患者さんの身体に触れていてよく聞かれたり、驚かれたりすることがあります。
「何で痛いところが分かるんですか?」
「何でそんなに手が温かいんですか?」
私としてはどう答えようかいつも困ってしまいます。
ひと言で言うなら手が研ぎ澄まされてきたからなのですが・・・
もう少し分かってもらえるように説明するとパルペーション(触診)の技術の鍛錬を続けていると誰でも指先は温かく、鋭いセンサーのようになってきます。
はじめは私も学校でパルペーション(触診)を学び始めたときは絶望的なほど骨格が分かりませんでした。
お尻の下に坐骨と言う骨があります。いすに座っていてコツンと当たるあの骨です。大きさは手のひらの親指の付け根にあるふくらみ程で、大きい骨なので身体の中では一番探しやすい骨なのです。パルペーション(触診)の授業でまずこれが探せなくて驚愕の状態になります。
それが日々練習を続けていると乳頭突起や関節突起という小指の先ほどの大きさの物も探し出せるようになるのです。
そして、それ以降臨床の場で6000人ほどの人の身体を触っているとすーっと触ってどこが痛いかぐらいは一撫ででわかるようになります。ただここまでのことを順序だてて話すとなると時間がかかるから困ってしまうのです。
この日々の鍛錬の過程で指はいつも必要な情報を探そうとしています。皮膚の熱感、弾力、筋肉の緊張度etc。指先に神経を集中させることでどんどん感覚が鋭くなり、微細な変化をキャッチすることができるようになるのです。
こういう鍛錬を2年3年と続けていると指先の色やつやが変化をし赤みと熱を帯びてくるのです。
なぜそこまで指が頑張るのか?それはこのパルペーション(触診)という技術が手技療法の根本の技術だからです。
もっと簡単に言うとこの感覚が鈍いと飯を食っていけないから--指も自分も必死です。
おかげ様で私の指もずいぶんと敏感になったのですが、困ることがひとつ。熱い物が触れない-他人には普通の熱さの湯飲みや茶碗が持てないのです。そのことを患者さんに話したら、
「それは猫舌ならぬ猫手だ~」
上手い表現だ!と思いここで使わせてもらってます。猫手なんです。実際。[裕]
国立国語研究所に設置された委員会が安易に使われている外来語を日本語に言い換えようと提言をした中に「インフォームドコンセント」という言葉があります。
その意味は「医療を受ける立場の人に事前の説明をし、患者さんが同意した上で医療を進めていく」程の意味です。この訳しにくい言葉は私の記憶では90年代に入り新聞で散見されるようになったと思います。文脈としてよく使われたのはがん治療に関して本人に告知した上で治療を進めるべきか否か、というテーマに関してだったと思います。当時は昭和56年にがんが死因のトップに躍り出て以降がん治療に注目が集まってきたこととつながりが深いのかもしれません。
その言葉が冒頭にあるように納得診療へ言い換えようと提言されています。やっとこの外来語に慣れてきたのに、と言う思いも少しばかりあります。
このインフォームドコンセントについてアロハカイロでは昔から心掛けている事なんですが、意外とよそで詳しい説明を受けたことが無かった患者さんに喜ばれることが多いようです。
「○○さん、こちら側に体重をかけることが多いでしょう?だから、ここの筋肉が緊張して身体がこういう風に捻じれているんですよ。だから、この捻じれを取っていきますね。」・・・という具合です。
これは誰から教わったという訳ではなく、過去にお世話になった治療院の師匠や先輩の説明の仕方を盗み取ったり、昔は自分が患者だったのでこういう風に説明してくれたほうが良いのになというのを加えたりして出来上がってきた習慣です。
臨床経験ン十年の先生の中には患者さんとほとんど話さず、稲妻のような高速矯正を2~3箇所実施して10分で終わりという方もいます。しかも、それで難病・奇病が良くなるとうわさが広がり全国各地から患者さんが集まるという達人の域の先生方が多くいらっしゃいます。
私はそんな域にはまだまだ到底届かないので、一生懸命説明をし理解をしてもらえるように心がけています。
技術以外にも患者さんの身体に届けられるものは数多くあると思いますので・・・[裕]
治療院によっては環境面で色々なことを考えています。
室温、湿度、照明、そして音。
環境面にこだわるのは、よりリラックスできる環境ほど副交感神経が優位になり、治療効果が期待できるからでしょう。だから、ヒーリング系の音楽をかける治療院が多いのだと思います。
以前、私は何ヶ所か治療院でお世話になったのですが、最も厳しいところでは咳払いさえも叱られたものです。そこまでいかなくとも概ね治療院では大声や私語は慎むもの、という暗黙のルールがあります。
これはある治療院での経験なのですが、何人かの患者さんがいる時に手すきだった女性スタッフ(B型の典型のような人なんですが)がなんといきなり院内に響くような大きさで鼻唄を歌い出したのです。
ちょっとした雑音にも気を使う他のスタッフは参ったな~という表情です。しかし皆笑っているのです。
思えば鼻唄は誰かに聞かせるものではありません。
その人が気分が乗っていてつい洩れてしまうものです。
それが聴こえる周囲には気分の良さが自然と伝わってきます。
なるほど鼻唄は周囲を和ませる効果があるんだな、とそのとき思ったものです。
さて、あなたは鼻唄を何日前に歌ったでしょう?
この話を家でしたところ、私はその日の前日にしていたようです。
その日は新年会でベロベロに酔っ払っていたので私自身は覚えていないのですが・・・
鼻唄を口ずさめるような乗っている日を少しでも増やしたいと思っているのですが、いかがでしょうか?[裕]
味噌、漬物、佃煮etc・・・食材を加工することで少しでも長い期間食べられるように工夫された保存食です。先人の知恵と経験によって編み出されたものです。
近年の合成保存料や添加物より身体に優しい保存方法だとは思いませんか?
もし身体に賞味期限という言葉を強引に当てはめるとすればどうでしょう?
やはり同様に先人の知恵と経験に編み出された方法で安全に工夫したいものです。
食事療法、漢方、東洋医学etc・・・カイロプラクティックやリフレクソロジーもその範疇に入ります。
手しか使いません。
手を使って体表の反射点に刺激を与えて自己の治癒力を高めてゆく・・・
カイロプラクティックは100年ほど前にアメリカで「手」と「技」というギリシャ語を組み合わせた命名された造語です。しかし、背骨に対する「整骨」という技はヒポクラテスの時代や古くはピラミッド時代に記録が遡れるそうです。
それだけ昔から人々に求められていた技術だったのかもしれません。
さて、この世で一番大切なものは何ですか?
お金?地位?名誉?---そうではなくてほとんどの人が自分の身体でしょう?
身体の賞味期限はあまりに長く、緩やかに落ちてゆくために忘れがちでしょうが、考えてみませんか?ゆっくりと。[裕]
前回は身体の賞味期限を伸ばそうという話でした。
その手段として必ずしも自然の療法でなければならないという訳ではありません。
今回は私の母が手術をして賞味期限を伸ばしたという話です。
私の母は若い頃から心臓に持病がありました。
どういう病気かというと、心臓には自動的に拍動を続けるためにペースメーカー細胞があるのですが、先天的にその細胞に異常があり、ふとした拍子にペースメーカーが乱れ早鐘のように拍動のリズムが速くなり発作が止まらない状態になってしまうのです。
大きな発作が起きたのは母が30歳半ばの頃です。
まだ10歳そこそこの私は明け方5時に父に起こされました。
発作を起こした母をこれから病院へ運ぶとのこと。寝室に行って母に呼びかけても意識不明で返事は無く、顔は土色で触ると人の身体ではないほど冷たく、このまま帰らぬ人となったらどうしようと大変怖かったのを覚えています。
その後、何度か入退院を繰り返します。耳や子宮の手術はしたのですが、心臓に対する有効な治療はなされないままでした。
それから20年頻繁に発作を起こし、いつ発作が起こるかわからない身体の状態というのはかなりきつかったことと思います。
そんな母が50歳半ばの時に手術を決意します。
手術前の同意書には成功率は80~90%と記載されています。高いものの100%ではありません。しかも、場所は心臓です。
決断に踏み切った理由はその頃の2~3年前からはまりだした海外旅行!
元気な時に手術にトライして上手くいけば、残った余生で好きな海外旅行をもっと楽しみたい・・・
結果、手術は成功で以降は嬉々として毎年海外旅行に行くようになりました。
ただ身体の賞味期限を伸ばすのではなく、その先に何をしたいのか--が大切なようです。
日々の臨床の場でみていると、元気になったらあれをしたいという目標設定は男性より女性のほうが上手なようです。
厚生労働省発表の2001年度平均寿命によると 男性 78.07歳 女性 84.93歳
こういうところにもその差が現れるのかもしれません。[裕]
QC手法とは利益が1兆円を超えた大手車メーカーでも採用されていた品質管理を高めて行こうという手法です。
具体的にはある生産過程で品質上の欠陥品が出るならば、なぜそれが出るのか、どうすれば少なく出来るかをサークル活動の中で検討し新しい方法を考え、生産過程を改善してゆく・・・などの活動が挙げられます。
もう少し詳しく説明すると、
テーマの選定-問題点・課題を決める。ex)欠陥品を少なくしよう
現状把握と目標設定-課題に対しての調査と改善目標。
ex)1万個に3個の割合で欠陥品が出る→1万個に1個の割合に減らそう
要因の解析-欠陥品が出ると考えられる原因の解明
対策の検討と実施-解明された原因に対し現実的に着手できそうな対策を採用し行う
効果の測定-対策を打ってどれぐらい効果があったのか
再発の防止-一過性ではなく永続的に改善された状態を保つ
等がオーソドックスな流れのようです。
また、このようにして確立された手法はPDCAサイクルという管理サイクルで運営されます。
PDCAサイクルとはP計画(Plan)D実施(Do)C確認(Check)A処置(Action)の略です。
この手法は製造業で品質管理(クォリティ・コントロール)をするために使い勝手の良い手法なのですが、不思議なことに私が以前いた外資系の金融会社で製造業でないにもかかわらず、活発にこのQCサークル活動が行われていたのです。
なぜこの話をするかというと、今現在の手技療法を使っている自分の思考過程にも意外と役に立っているな~という感想があるからです。
話を繰り返します。
テーマの選定-問題点・課題を決める。ex)腰が痛い。
現状把握と目標設定-課題に対しての調査と改善目標。
ex)中腰で身体を捻ると痛みが増す。→まず、これを減らそう!
要因の解析-捻って痛みが出ると考えられる原因の筋肉・関節を詳しく触診する。
対策の検討と実施-筋肉・関節の調整。
効果の測定-調整後、同じ姿勢をしてどれぐらい痛みが減ったか→効果があったのか
再発の防止-一過性ではなく永続的に改善された状態を保つ
PDCAサイクルとしてはP計画-痛みを発生させた根本原因(姿勢等)の改善計画 D実施-自宅でのストレッチ等セルフケア C確認-次回来院時の姿勢・可動域のチェック A処置-別の箇所の調整 となります。
ここで断っておきたいのは人の身体は機械などとは比べようもないほど複雑なので上記のように単純化は出来ない-ということです。
機械のようにねじを1本締めたら改善効果が簡単に永続的に続く、というものではないのです。
だがしかし、確実に改善効果を上げてゆく方法があります。
それが上のD実施の部分をしっかりやって頂く事です。
私たちは身体をみて、「こういう歪みがありますよ。だからこうしてゆきましょう。」という指摘とアドバイス、それから若干の調整で身体を良い状態に持ってゆくお手伝いをすることは出来ます。ただもっと高い希望としては2人3脚でPDCAサイクルを何度も回し、より高いレベルでの健康を得られるようにお手伝いできれば、と思うのです。[裕]
厚生労働省かなにかの広報記事にでも出てそうななんとも大げさなタイトルなんですが、今回はそういう中央や大きな組織とは対極にある職場をどう思うかについての話です。
このことについて思い至ったきっかけは前々回のコラムにあるガイドの方の習慣にあります。
そのガイドの方はトレッキングコースツアーでヤンバルの森に入る時、合掌し軽く一礼の後森へと分け入ります。
森から出るときも同様に、振り返り一礼しその場を後にします。
彼によれば宗教心でも信仰心でもなく、20年近く森のガイドの仕事をしているうちに自然とそういう習慣がついたとの事です。
そのとき私が思ったのは、職場を愛するというのは良い事だな~という事です。
ガイドの方に言わせればそこは職場ではなくて大切に残された自然の場をほんの少しの間立ち寄らさせてもらっているだけ、と言うことになるかもしれません。
が、しかし、そのときの私には、超一流のスポーツ選手が試合場に入る瞬間に礼をして入り、礼をして立ち去る・・・あの時の様なイメージを持ったのです。
さて、職場というと何を思い浮かべるでしょうか?
会社員として働く多くの方は、働く場所の空間よりもそこで同時期に働く複数の人々のコミュニティをイメージするほうが多いんではないでしょうか?(空間より人々の顔を思い浮かべる)
今回私が言っている職場とは、空間そのものやそこにある物を指しています。
具体的にはアロハカイロではベッドであったり、器具や机や部屋そのものです。
以前は1日のスタートはそれらの掃除で始まっていました。部屋の中だけでなく外の廊下、外階段、交差点の歩道等の掃除もです。
ですが、今は治療院の部屋に入る時に一礼して入るのを1日のスタートとしています。
そうすることで、部屋の中のものを大切に扱い、それがひいては1回1回の自分の施術を大切にすることに繋がるのではないか--などと最近思っているのです。[裕]
ある女性の患者さんの首をみた時、“この首の状態なら頭痛はあるでしょう”と納得させられたことがあります。
カルテを見るとやはり頭痛に丸印がついてます。
患者さんに聞くと、月経の前後には必ず頭痛があるとのこと。そして彼女が言ったセリフが
「鎮痛剤が手放せないんです。」
そこで今回は鎮痛剤の話です。
以前このコラムで鎮痛剤について取り上げましたが、☆お薦め本「医療が病をつくる」 その3☆
今回はもう少し詳しく・・・がんばってお付き合い下さい。
まず一般的に解熱鎮痛薬を服用する時に起こっている“痛み”とは身体の中で起きている反応の結果と考えましょう。
ではなぜ痛みが起きるのか?
まず体の組織が外傷や感染などによって傷害を受けると、細胞膜が破壊され、膜を作っている構成成分のリン脂質がアラキドン酸を遊離させます。このアラキドン酸がカスケード(階段状の分れ滝という意味)と言われる反応系を起こし、次々と合成物を生成します。例えば遊離アラキドン酸→シクロオキシゲナーゼ→プロスタグランジン→トロンボキサンという具合にです。
この過程でできる合成物が傷害を受けた場所に炎症を起こし、結果、痛みも発生するのですが、アスピリンに代表される消炎鎮痛剤は遊離アラキドン酸→シクロオキシゲナーゼの過程をぶった切ることによってプロスタグランジンの合成を抑制し炎症反応を鎮めようとするものなのです。
生理学を勉強すると、生物の体というものは下手な化学工場のプラント施設なんかとは及びもつかないような精密な仕組みを持っています。もし炎症から引き起こされる一連の反応系が何百万年という進化の過程で得てきた体の防御・治癒の仕組みであるならば、“痛み”というものが不愉快なために途中の過程をぶった切るということは、痛みを治したと言うのではなく一時的に隠した、というのが妥当かもしれません。
少し長いのですが未来免疫学の著者の安保教授の説を引用させていただきます。
肩こり、腰痛などの痛みは血流障害を改善させようとする副交感神経の反射であって治癒反応の1つである。
また、消炎鎮痛剤はプロスタグランジンの合成を抑制し、交感神経刺激反応を誘導する。
その連続使用はあらゆる症状や病態をつくることになる。
頻脈、高血圧、抹消循環不全(手足が冷たい)、顆粒球増多、粘膜破壊、関節や骨の変形、尿量低下、腎障害、不眠、易疲労性(いつも疲れる)食欲不振、便秘、口渇、動脈硬化、心筋梗塞、脳卒中・・・etc
私も絶対服用しない、というわけではありません。仕事に差し障るときには使用します。ただ、こういった説を知って使用するのと知らないで使用するのとは違うと思います。一番望ましいのはこういった“痛み”の起きにくい体質をつくっていく事だと思うのですが、いかがでしょうか?
次回も痛みの話と治り易い人、治りにくい人についてです。[裕]
前回はどうでもいいじゃないか!というぐらい“痛み”が発生する過程と鎮痛剤について触れました。
今回はカイロプラクティックの調整の過程で“痛み”をどう考えるのかと、治り易いタイプの人、治りにくいタイプの人についてです。
“痛み”が発生するというのは身体の中で起きている反応系の結果であって、原因ではなく“痛み”に問題があるのではない、というのが前回の要旨でした。
まだ私が学生だった頃、諸先輩の先生方から注意しなければならない事として、アドバイスを頂いたのが
「痛みはあくまでサインであって、それを指標として追いかけるな」
という事でした。
カイロプラクティックは痛みを100%消すことを目的としてはいません。
何が原因でその痛みが起きているかを探し、その原因を改善することで、その人が持っている自己の治癒力によって症状を改善してゆく、これが目的です。
例えば、腰痛の人がいるとします。
お辞儀をして30°の角度で痛みが出る状態だとします。
痛みの原因が腰骨のズレかもしれませんし、靭帯かもしれませんが、その原因を検査で推理し、調整をした後、お辞儀をして45°や60°の角度で痛みが出る状態になったなら、良しと考えるのです。
調整は痛みを発生させるストレスを取り除く方向に働いたのだから、残りの部分は自己の治癒力に任せていくという感じです。
諸先輩の先生方から注意とは、それをお辞儀していって手のひらが床に着くまで痛みが出ないようにしようと、症状を追いかけるとかえって悪くすることがあるという事なのです。
話を少し変えて治り易いタイプの人、治りにくいタイプの人についてです。
私が臨床でみていると、先程の腰痛の例で言うと、調整後、お辞儀をして45°や60°の角度で痛みが出る状態になって,身体が良い方向に向かっていると直ぐに理解できる人は治りが早いようです。
多分それは自己の治癒力を無意識のうちにも直感的にイメージできるからでしょう。
逆に痛みの出ない角度が広がっているにもかかわらず、まだ痛みがあると感じる人は治りにくいようです。
出来る事であれば“痛み”というものを不愉快なものとして、取り除くことに一生懸命になるよりも身体が発している何らかのサインと捉え、気長にでもその痛みの出る根本原因を改善してゆくように取り組みたいものです。
そしてアロハカイロにご来院いただいているある会社経営の方の話を少々。
この方はタイプに分けると治り易い人なのですが、仕事柄多忙でどうしてもアスピリンを多用する時期もあったとの事です。
頭痛をいつも抱えて会社経営上の判断をその都度していかなければならない・・・気持ちの余裕も少なくなり、どうしようと焦る。
ここアロハカイロで調整をお受け頂いた後は自宅まで20分近い距離を歩いて帰られるそうです。
その折には痛みも和らぎ、リラックスした状態で仕事のことを考えると、何でこんな簡単な解決法が今まで浮かばなかったのだろう!、とか仕事上のグッドアイデアが浮かんだりすることがあるそうです。なので、その方にとってはここで調整を受けることは必要経費だ、と嬉しい事をおっしゃて頂いてます。
(すみません、ちょっとアロハカイロの自慢が入ってます)
“痛み”についての解釈1つみても各人の一面が浮き彫りになったりして興味深いものです。
出来うる事なら“痛み”を上手く捉えてそれをリラックス状態にまで持ってゆく術を見つけて、グッドアイデアがポンポン出てくるような心身状態を![裕]
アロハカイロ&フットパラダイスではいつも新規の患者さんに問診表をご記入いただいています。
その問診表には生年月日をご記入いただく欄があるのですが、最近「あら。大正の欄がないわね・・・」というお声が増えてきたのです。
そのたびに「すみません!次回印刷のときにその欄を作ります」とお詫びをしているのです(汗)
このサイトの具体例のページにご来院頂いた方々の性別・年齢構成を載せていますが、それを見てもおわかりの通り女性・30代が圧倒的に多いのです。
この傾向は開業前から予想していた通りなのです。そこで、大正生まれの方(今現在で80代)にはご利用頂けないかな~と、弱気な予測で問診表印刷時に大正生まれの欄を設けなかったのです。
が!しかし、先程のように大正生まれの方のご来院が増えてきました。
というのは、50代の方がまずご来院頂いてその方の親御さんをご紹介頂けるケースが増えたからです。(中には親子3代でご来院いただいているケースもあるのです)大変ありがたく感謝しています。
そして、80代の方のお元気なこと元気なこと!
その皆さんに共通している特徴があります。
まず、気が若い!若い人と混ざって引けをとらないで頑張れる趣味があったり、お召しの洋服の色使いが華やかであったり、見た目に若いのです。
そして、好奇心がとても旺盛です。携帯電話を買って他人には教わらず、マニュアルを読みメールを使いこなしたりetc
これも当たり前のことなのですが、身体を元気な良い状態に保ってあれもしたいこれもしたいという意識がしっかりしているのです。
最後に付け加えるなら、土地柄もあるかもしれません。
ここ湘南のエリアは適度な距離で田舎です。交通網は発達していないので、歩く機会も多いのです。
それに、空気も良く新鮮な海産物が食べられる環境も大きな条件だと思います。
いぃですよ-海の近くは!転勤・入学などで住環境を変える方も多いと思いますが、どうですか?海の近くで住んでみるのは。[裕]
カイロプラクティックではベッドでうつ伏せになって頂いた時、身体を真直ぐにして左右の脚の長さをみる場合があります。
最近、新規の方に「脚の長さが違いますね」とご説明しても
「あぁ、ヨソで指摘されたことがあります」とごく自然にいう患者さんが増えたな~という印象があります。
そこで今回は、なぜ脚の長さに左右差が出来るのか、個人的な見解とカイロプラクティックで脚の長さをみる理由をご説明させて頂こうと思います。
実は、脚の長さの違いといっても骨の長さの違いではなく、(まれにそういったケースもありますが今回のテーマとは異なります)見かけの長さの違いのことなのです。
では、なぜ見かけの長さの違いが出来るかというと、筋肉の長さに差が出来るからだろうと思われます。
以前、このコラムで『ノーマルディストーション』を取り上げました。利き足の考え方です。
あなたは利き手は右でしょうか?右利きならばかなりの確率で利き足も右のことだと思います。
(利き足はサッカーボールを蹴るときの足、掃除機をかけるとき後ろに配置する足)
私の観察では日常生活でこの利き足を中心に使われることが多いようで、長時間立ちっ放しの時などは利き足側に体重をかけて立つほうが多いようです。
そうすると体重支持のために利き足側の筋肉群が収縮していることになります。この習慣が何十年と言う単位で反復されることにより、相対的な筋肉の長さの左右差が出来、利き足側がより体の中心部に引き寄せられるようにして見かけ上の脚の長さの差が出来るのだと思います。
そして、この筋肉群の緊張の差が骨盤や体幹を捻る原因となります。
具体的に言うと、利き足側の骨盤が後方に捻れるケースが多いようです。
どこかのカイロプラクティックや整体院で脚の長さを比較され、「右足が短いですね-」と指摘を受けたことはありませんか?
私も常日頃、短いほうを言うより「左足のほうが長いですね」と言った方が相手に対する心証がいいだろうと思うのですが、実は、カイロプラクティックでは後方にズレているものを前方に矯正するのを主題にしているのです。
身体の構造を考えれば、当たり前なのですが・・・
背骨の捻れを前側から矯正しようとすると、お腹や胸側から内臓を超えて背骨に達する圧が必要になります。
それよりも、背中側から後方に捻れているほうを矯正したほうがやりやすいので、後方への捻れを探すことが重要になるのです。
そこで骨盤に話を戻して、後方にねじれている側は足が短い。という法則をいつも一生懸命探しているから、先程の「右足が短いですね-」という表現になってしまうのです。
以前と比べ巷でカイロプラクティックや整体を施術する人も増え、また、受ける人も増えたため自分の脚の長さに違いがあると認識してる人がずいぶんと増えたな-と言う実感があります。
さて、次回は世間ではそんな認識が薄かった25年ほど前に私が体験したある怪しげなセミナーの話です。
前回は施術者の立場からみた脚長差についてでした。
さて、今回はまだ私が中学生だった頃の話です。
そのセミナーの情報を知ったのは市の発行する広報誌にセミナー告知の欄があり、そこに身体の歪みを直すセミナーと銘打って載っていたのをたまたま見たからでした。
今にして思えば身体の歪みに興味があるなんて我ながら変わった中学生だったな、と自嘲したりもするのですが・・・その当時少年マンガ誌には○×式長身法などの広告があり、身体の歪みをとると背が伸びる!!風なキャッチコピーが脳裏に焼きついていたから、興味があったのかもしれません。
さて、当日会場は市の中心部にある市民会館の一室で和室でした。
広さは約20畳。スタッフは白衣を着た先生風の男性と中年の女性が2人。
参加者は私を含めて5人ほどです。ウィークディの午後早くに行われたためか、私以外は専業主婦風の女性ばかりです。
セミナーの前半は身体の歪みがいかに健康にとって有害かを強調する内容でした。
そして、参加者の中からモデル一人が選ばれます。彼女を被験者にして、身体に歪みがあるとはどういうことなのかを説明していったのです。
その中で、骨盤の歪みからくる脚の長さの違いが紹介されていたのです。
さて、ここからがセミナーの核心です。歪みが出来る原因は寝具に問題があり、この寝具とある調整法を使えば身体の歪みは無くなり、健康になる!!というものでした。
その寝具と言うものは、私にはただの畳に周りを木枠で囲んだものにしか見えないませんでした。
なにやら効能がある構造のように講釈をしていたのですが、その時点で胡散臭さ全開でした。
そして、先程選ばれたモデルの女性をその寝具の上に寝かせ、なにやら調整を施すと確かに脚の長さが同じ長さに揃うのです。
さあここで、その寝具の値段の発表です。確か、10万から15万円ぐらいの値段だったと思います。(はなっから買う気が無かったのであいまいなのですが・・・)
後は、全員に購入のための契約書が配られます。その中で気弱そうな主婦2人組にスタッフの女性が張り付き、説得を開始します。
「今すぐに決めなきゃ!」
「いや~帰って主人に相談してみないとー」
「健康のことを考えたら、これは安い買い物だから・・・」
と、そこへ中年の男性が突如入室してきて土下座をし、大きな声で挨拶を始めます。
「先生、遅れて大変申し訳ありませんでした。○×市(セミナー会場から約70キロ離れた街)からやってきた△☆でございます。おかげさまで、その後も体調がすこぶる良く今日も調整をして頂きたくやってまいりました!」
すかさず、スタッフの女性が言います。
「ほーらね。あんな遠くからでも健康になったて来る人がいるのよ!悪い物なはずないでしょ!」
胡散臭い。胡散臭すぎる!
土下座をして口上を述べた男性の棒読みのようなセリフ。しかも、絶妙のタイミングで入ってくる不自然さ。
その当時私は中学生だったのです。中学生と言えば頭の中は単純でいつも考えていることと言えば腹へって食うことと、女の子のことぐらいしか無かったんじゃないかと思います。(極端に言えば左脳に食欲があり、右脳に色欲があるような・・・)
そんな中学生に胡散臭いとバレバレのセミナーだったのです。
当然、彼らはイガグリ頭の見るからに中学生の私にはわき目も触れず、契約獲得に邁進をしている様子でした。
その後、成約があったのかどうかは知りません。
ただあの種の商法は同じ土地で何度も使えるものではないと思うのです。
まだあのやり方は健在なのでしょうか?健在なら全国津々浦々行商をしているのでしょうか。
ただ、あの当時、脚の長さの違いを見せられた時は参加者全員が驚いたのです。そして、長さが揃った時またもやそれ以上に驚いていたのです。
そして、冒頭の感想に立ち返ってつくづく脚の長さの違いについての認識(=健康知識に対する認知度)が変わったものだと思うのです。[裕]
生物には様々なリズム(周期)があります。
ウルトラディアンリズム(ultradian rhythm): 数十分から数時間
概潮汐リズム(がいちょうせきりずむ、circatidal rhythm): 約12.4時間
概日リズム (がいじつりずむ、 circadian rhythm): 約24時間
概月リズム(がいげつりずむ、circalunar rhythm): 約1ヶ月
概年リズム(がいねんりずむ、circannual rhythm): 約1年
ここで1番分かりやすいのが 約24時間の概日リズム 。circaはラテン語で「約、概ね」と言う意味で、
diesもラテン語で「日」と言う意味です。
この約24時間というところがミソでヒトの概日リズムは24時間より少し長めで25時間よりは少ないそうです。
以前テレビの実験で見たことがあるのですが、大学生の被験者を使ってまったく外界から遮断された環境で
時計も無く、好きな時間に起きて、好きな時間に寝る生活を続けていると毎日1時間ずつ後ろにずれていくそうです。
なぜ私たちがそうならないかというと、目覚まし時計があるからではなく朝日が関係しているのです。
朝、太陽から入ってくる光を受けて、24時間とプラスα分の体内時計のズレを毎朝毎朝リセットしているのです。
概日リズムより短い周期ではウルトラディアンリズムとしては睡眠。
レム睡眠とノンレム睡眠のワンセットが約90分。
また、概日リズムより長い周期では概月リズムが月の満ち欠けの周期で29.5日ですが、これに近いのが
女性の月経周期の28日。
さて、これよりも長いのが概年リズム。
季節性の体調などを当てはめて考えれば分かり易いのかもしれません。(食欲の秋に体重が増えるなど)
そして、ここからが本題。
以前このコラムにも何度か登場したロバート・C・フルフォード博士(アンドリューワイル博士が師と仰ぐオステオパスドクター)によると痛みの記念日なるものがあるそうです。
-ある日の朝、不快感から目覚め、ご自身の内臓の体調がすぐれず少量の朝食を食べても内蔵が出るかというほどの嘔吐が収まらず四苦八苦しているところに、1本の電話がなる。
依然お世話になった医者から体調をたずねる電話で、ちょうど1年前の今日に心臓発作を起こしていたことに気づかされた。
その医者は
「ご存知でしょう?痛みの記念日なんですよ。」
その時フルフォード博士は50年間患者さんを診てきて、数え切れないほどそういった実例を驚きとともに見ながら自分に起きたとは電話が来るまで気づかなかった。-
さて、次回はここアロハカイロ&フットパラダイスでもよくあるその事例の話です。[裕]
前回は自分でも忘れていた「痛みの記念日」が不思議なことに1年後にやってくる、と言う内容でした。
さて、アロハカイロ&フットパラダイスでは施術の前に問診を施術の後にフィードバックを初回のみならず毎回行っています。
そして、カルテにその日に患者さんが訴えた身体の不調と施術の内容をどこの場所をどういう調整法で行ったか、を毎回記載しています。
例えば、
私 「今日は体調はいかがですか?」
Aさん 「先日、東京でパーティーがありまして、普段履きなれていないヒールのある靴を長時間履いていたので腰が痛くて・・」
私 「なるほど、痛いのはどこら辺ですか?」
Aさん 「ここら辺です」
私 (はぁ~ん。Aさんは腰の前彎がきついから、恐らくL3かな)等など。
そして、
私 「はい、終了です。これで様子を見てください」
Aさん 「ありがとうございました」
私 「Aさんはもともと背骨のカーブが強いのですが、ヒールのある靴を履くことで腰のカーブがさらに強くなりここに負担がかかっていたようなので調整をしておきましたよ」
このコラムをご覧の方のよく行くマッサージ店や治療院はいかがでしょうか?
こんな感じでしょうか、それとももっと別な感じでしょうか?
こういうやり取りを定期的に来院される方と続けて何年も経ってゆくと、カルテが一つの体調日記のようなものになってくるのです。
Bさん 「風邪を引きまして-」
何年分かのカルテをめくって
私 「あ-、大体11月のこの時期に風邪を引かれてますよね」
さて、ここからが本題です。
Cさん 「胃痛と背中の痛みがありまして」
私 (胃痛と背中なら中部胸椎だろうな~)と、思いつつカルテをめくっていると、ナント!1年前の今日にも同じ症状で来院されている。
私 「1年前とまったく同じですよ」
Cさん 「そうなんです。私、5年日記というのをつけていましてね。たまたま見ていたら去年と同じ症状で、こちらに伺ったら両方とも楽になったて書いてあって、今日もこちらに伺おうと思って来たんです」
私 「そうですか。臨床で見てると、そういうケースが意外と多いんですが、ピッタリ1年後に来られたのはCさんが初めてですね」
と、いうようなケースがあったのです。
これはいくつかの偶然が重なって起きた珍しいパターンだと思います。
5年日記をつけていた。
その症状が出た時にたまたま1年前の日記を見た。
そして、アロハカイロ&フットパラダイスに来て随分症状が改善したことが記録されていた。
(な~んだ、結局自慢話か-、とツッコミ入れないでくださいね)
何故、こういうことが起こるのかは前回ご説明した概年リズムにプラス何かの生命体の神秘な部分があるのかもしれません。
がしかし、臨床の場でこういう経験をしているドクターや手技療法家は多いことと思います。
前述のフルフォード博士も何故こういうことが起きるかは分からない、としながらもこう推測しています。
-身体にとっての急激で大きな症状は改善した後も、筋肉などのある場所にトラウマとして記憶が残される。それが、何かのタイミングで記憶が取り出される。それが1年後かもしれないし、5年後や10年後かもしれない。ただ、痛みの記念日がやってきたとき、カレンダーを振り返り、ああそれがやってきたんだと理解できれば、不安に感じないで済むだろう。-
身体というものはどこまで行っても不思議で神秘的な存在なようです。[裕]
今回はプラセボ効果の話です。
プラセボ効果とは医師が偽の薬を患者さんに与えても、本当の薬を与えられたかのように利いてしまう作用のことを言います。
例えば、医師が下痢に苦しむ患者さんに
「これは最近開発された新薬で良く効きますよ」
と、いって実際には糖類しか入っていない薬を与えても、それを飲むとぴたりと下痢が止まってしまう・・・ということです。
まぁ、実際のところは臨床の場で処方されることは少ないようですが。
これを今でも行っているのが新薬の研究の場。
医師が本当の新薬と偽薬を与えて本来の薬効を比較対照実験から調べようとするものです。
例えば、先ほどの下痢に対する新薬実験の場合、本当のところ効き目があるのは100人中70人だったとしましょう。
それが、プラセボ効果があるために、新薬実験単独の場合、期待感もあって100人中80人に効いてしまうケースが出てくるかもしれない。
そこで、プラセボ効果がどれほどあるのか同時に調べておくのです。
患者さんには偽薬と知らせずに新薬だと偽って効果を見てみると、100人中10人に効いた。
80人引く10人で70人。
これが単盲検法。患者さん側にだけ真偽が知らされていないということです。
でも、これでも医師の側に内心偽薬に対しては『これは偽の薬だもんね』、新薬に対しては『この新薬はすごい!この人に絶対効くはずだ』
というバイアスがかかってしまう問題があるので、医師のほうにも薬の真偽が分からないようにするのが二重盲検法なのです。
さて、ここまで見てくると、まったく薬効の無い薬(といっていいのかな、物という表現のほうがいいのかな)をはさんで渡す側の心理や受け取る側の心理で薬の効き目に増減があるということです。
(薬効が無いのだからどんな心理状態であろうとも、何回検査をしても、万人に対して効き目はゼロということではない)
実際には痛み、下痢、不眠などの症状に対してプラセボ効果がで易いそうです。
人の身体というものは不思議なもので、新薬開発というどこまでも科学的な研究をしなければいけない場においても、人の心理によって身体が変化するという不確定要素を考慮しなければならないようです。
ここアロハカイロ&フットパラダイスでも、使えるプラセボ効果ならどんなものでも使おうと考えています。(笑)
窓から入る採光の具合であったり、BGMのハワイアンミュージックであったり、リラックス効果の高いラベンダーオイルの香りであったり・・・
その甲斐あってかとても信頼関係を高く築けた患者さんとはこんなやり取りがあったりします。
来院時にドアを開けてすぐ
「あぁ、先生の顔を見たとたん、身体が楽になったような気がするわ!」
すいません。2回続けて自慢話です。[裕]
ここアロハカイロ&フットパラダイスには色んなお仕事をされている方が来られています。
圧倒的に多いのは普通に会社勤めをされている方々が多いんですが、中には誰でも知っている超大手の保険会社の副社長さんや霞ヶ関の高級官僚だった人もいらっしゃています。
珍しい職業では作家(直木賞にノミネートされたことがあるらしい)、世界を股にかける投資家、茅葺き職人なんて方もいるんです。
さて、ここ鎌倉らしいと言えるかもしれない職業に遺跡発掘調査員という方も2人ほどお越し頂いています。
歴史好きの私としてはこのお2人との会話はとても楽しいいのです。
あのあたりは武家屋敷が多い地域だったのでその遺構がよく出るとか、
あのあたりは新田義貞の鎌倉攻めの合戦場だったから人馬の骨が出るとか・・etc
鎌倉の旧市街(切り通しの中の地域)では家の建て替えの為、土を○メートルでも掘ればどこでも遺跡が出てくる可能性があるんだとか。
その遺跡発掘調査員の女性の方と話している時に過去6回ほどの来院の日付を見ると○月24~26日というのが多い。
その事を彼女に話すと、
「あ~、私って新月が最高に調子悪いのよね~ それを越えてもまだ調子が悪いとこちらに伺うの。私の周りの人はみんな新月の時調子悪い人ばっかりなんだけど、そうじゃないの?」
彼女を送り出した後、マニアックで検証好きの私がネットで月例カレンダーを調べたのは言うまでもありません。
すると、彼女の言い分どおり来院したの日はいつも新月を過ぎて2~3日後ばかりなんです。
これは以前コラムで触れたサーカリズムの中の概月リズム(がいげつりずむ、circalunar rhythm): 約1ヶ月 に当てはまります。
さて、それでは大数の法則は当てはまるかと、治療院全体の過去6ヶ月の予約ノートを調べてみましたが、これは当てはまらない。
(みんながみんな新月後に来るというわけではない)
想像するに、土を掘り悠久の過去の遺物と対話し、想像力を働かせレポートにまとめるというお仕事をされていると、過去、月を見て暦を読んだ先人のように月と同調する身体になったのかもしれません。
ヒトも本来は強く持っていた生理作用なんですが、電化した生活(照明、空調など)モータリゼーションの発達などで現代の人はその生理作用を弱めていったのでしょう。
生活の中で月齢を意識する、ということは案外良いのかもしれません。[裕]