アロハカイロ&フットパラダイスの2009年のコラムです。
コラム2009
この冬のクリスマスはいかがだったでしょうか?不況、不況と新聞やテレビでの大合唱にうんざりしている今日この頃ですが、12月24日に定休日の水曜日とあって、私達は横浜の赤レンガ倉庫に行ってきました。
クイーンズスクエア~ワールドポーターズ~赤レンガ倉庫へと歩いたのですが、平日の4時にもかかわらず人の多いこと!普段の鎌倉の人の通行量に馴染んだ私にはこの人の多さにビックリでした。
景気が悪いと言っても、イベントにはこんなに多くの人が出てきて消費マインドはある様子なので、マスコミの不況をあおる大合唱に気分を落ち込まさない方が良いですね。
さて、ここ鎌倉の由比ガ浜では毎年恒例のX'masパーティーをやっています。
時期は12月中旬。場所は由比ガ浜公会堂。参加者はなんとなく商店街に縁のある人達。
(今回は赤ちゃんやお子さんも大勢参加されてました)
今回集まった人数は90名over。
参加するたびに新たに出会いのあるパーティーだけに、私たちも毎年皆勤で参加しているのです。
このパーティーが始まったのは2002年。
最初は20名ほどの規模だったのですが、毎回新しい人たちが加わって、イベントを盛り上げよう!と回を重ねることでここまで大規模になったのです。
なんとなく閉塞感に覆われた今の雰囲気で、こんな地元の盛り上がりはちょっと勇気をくれて感謝!です。
へぇ~面白そうだな-と思われた方はご一報下さい。初めての人wellcomeな楽しい人たちの集まりですよ。[裕]
最近鎌倉では古民家を改装した飲食店が脚光を浴びてるようです。
思いつくままに挙げるとクー・ド・フーが長谷に移転した「ワタベ」
同じく長谷のイタリアン「Nadia」西御門から長谷に移転した「0467」
由比ガ浜のお蕎麦屋さん「松原庵」坂ノ下の手ぬぐいCafe「一花屋(いちげや)」等など。
大広間の畳のテーブルに座布団で座って食べる形式や、板の間にテーブルと椅子で洋風なBGMの投げれるなか食事を頂いたり、と色々なパターンがありますが、多くのお店に共通しているのが静寂な時間に中庭を愛でながら、ゆったりとした気分で食事できることではないのかな。
今回ご紹介したいのが、浄明寺の「こふく」
こちらにお伺いしたきっかけは同じ由比ガ浜商店街のお店で働く女性から
「私の友達が母娘で浄明寺で和食の店をやってるんだけど何人かで行くから一緒に来ない?」
とお誘い頂いたからです。
場所は彼女のメールによると金沢街道を朝比奈方面へ進み、岐れ路にある大御堂橋を渡り、
報国寺方面に進むとホントにこの道であってるのかな、と不安になってくる辺りにありますとのこと。
夜、7時30分集合のため、暗い道をここかな、あそこかなと探しながらたどり着くことが出来ました。
大正末期か昭和初期に建てられたようなまさしく古民家の作りで、玄関までは玉砂利に飛び石の作り。
がらがらと横に引き戸を開けると、広い玄関には大きな下駄箱があり石のあがりがまちから上がるとL字廊下がありその奥に2部屋で30畳近い大広間があります。
ガラス戸の指をかけて引き空ける高さは成人が正座をしてあける高さにあります。
昔ここにお住まいだった方は(娘さんの祖母にあたる方がお住まいだったようですが)廊下で一度正座をしてガラス戸を空けていたんでしょうね。
ガラス戸越しに12名の集まりがあり、知った顔が3人ほどいます。
中から男性が出てきてそれが私達の知り合いだったので、
「おぅ!○○ちゃん。久しぶり」
「上着をお預かりしましょう。」
「いいよ-。自分でやるから、ところで今日はここで何してんの。あそこの飲み会に参加なの?」
「いえいえ。ここは家内の店なんです。今日は手伝いで」
えぇっ!びっくり。
旦那さんは以前からの知り合いだったのですが、奥さんとは面識が無く、今日誘われてきた店の奥さんが彼の奥さんだったとは。
でも、鎌倉ではよくこういうことが起きるんです。
(その場で皆が鎌倉は狭いから悪いこと出来ないね~ まぁ、しないけど。な-んて盛り上がったんですが)
さて、出してくれたお料理はどれも美味しく、鎌倉の和食のお店は男性の料理人が作ってる男性的な料理が多いんですが、
ここのお料理はとても女性的です。(当たり前か。母娘でやってるんだし)
例えてみるならば、昔料亭で腕を振るってた女性が自分のお店を出してちょっとおふくろの味を効かせた料理って感じかな。
静寂な雰囲気と民家ならではの安堵感を味わいながら美味しくいただけるお店です。
TEL 0467-23-9091
月曜 第1火曜 定休
夜は予約のみです。[裕]
生物には様々なリズム(周期)があります。
ウルトラディアンリズム(ultradian rhythm): 数十分から数時間
概潮汐リズム(がいちょうせきりずむ、circatidal rhythm): 約12.4時間
概日リズム (がいじつりずむ、 circadian rhythm): 約24時間
概月リズム(がいげつりずむ、circalunar rhythm): 約1ヶ月
概年リズム(がいねんりずむ、circannual rhythm): 約1年
ここで1番分かりやすいのが 約24時間の概日リズム 。circaはラテン語で「約、概ね」と言う意味で、
diesもラテン語で「日」と言う意味です。
この約24時間というところがミソでヒトの概日リズムは24時間より少し長めで25時間よりは少ないそうです。
以前テレビの実験で見たことがあるのですが、大学生の被験者を使ってまったく外界から遮断された環境で
時計も無く、好きな時間に起きて、好きな時間に寝る生活を続けていると毎日1時間ずつ後ろにずれていくそうです。
なぜ私たちがそうならないかというと、目覚まし時計があるからではなく朝日が関係しているのです。
朝、太陽から入ってくる光を受けて、24時間とプラスα分の体内時計のズレを毎朝毎朝リセットしているのです。
概日リズムより短い周期ではウルトラディアンリズムとしては睡眠。
レム睡眠とノンレム睡眠のワンセットが約90分。
また、概日リズムより長い周期では概月リズムが月の満ち欠けの周期で29.5日ですが、これに近いのが
女性の月経周期の28日。
さて、これよりも長いのが概年リズム。
季節性の体調などを当てはめて考えれば分かり易いのかもしれません。(食欲の秋に体重が増えるなど)
そして、ここからが本題。
以前このコラムにも何度か登場したロバート・C・フルフォード博士(アンドリューワイル博士が師と仰ぐオステオパスドクター)によると痛みの記念日なるものがあるそうです。
-ある日の朝、不快感から目覚め、ご自身の内臓の体調がすぐれず少量の朝食を食べても内蔵が出るかというほどの嘔吐が収まらず四苦八苦しているところに、1本の電話がなる。
依然お世話になった医者から体調をたずねる電話で、ちょうど1年前の今日に心臓発作を起こしていたことに気づかされた。
その医者は
「ご存知でしょう?痛みの記念日なんですよ。」
その時フルフォード博士は50年間患者さんを診てきて、数え切れないほどそういった実例を驚きとともに見ながら自分に起きたとは電話が来るまで気づかなかった。-
さて、次回はここアロハカイロ&フットパラダイスでもよくあるその事例の話です。[裕]
前回は自分でも忘れていた「痛みの記念日」が不思議なことに1年後にやってくる、と言う内容でした。
さて、アロハカイロ&フットパラダイスでは施術の前に問診を施術の後にフィードバックを初回のみならず毎回行っています。
そして、カルテにその日に患者さんが訴えた身体の不調と施術の内容をどこの場所をどういう調整法で行ったか、を毎回記載しています。
例えば、
私 「今日は体調はいかがですか?」
Aさん 「先日、東京でパーティーがありまして、普段履きなれていないヒールのある靴を長時間履いていたので腰が痛くて・・」
私 「なるほど、痛いのはどこら辺ですか?」
Aさん 「ここら辺です」
私 (はぁ~ん。Aさんは腰の前彎がきついから、恐らくL3かな)等など。
そして、
私 「はい、終了です。これで様子を見てください」
Aさん 「ありがとうございました」
私 「Aさんはもともと背骨のカーブが強いのですが、ヒールのある靴を履くことで腰のカーブがさらに強くなりここに負担がかかっていたようなので調整をしておきましたよ」
このコラムをご覧の方のよく行くマッサージ店や治療院はいかがでしょうか?
こんな感じでしょうか、それとももっと別な感じでしょうか?
こういうやり取りを定期的に来院される方と続けて何年も経ってゆくと、カルテが一つの体調日記のようなものになってくるのです。
Bさん 「風邪を引きまして-」
何年分かのカルテをめくって
私 「あ-、大体11月のこの時期に風邪を引かれてますよね」
さて、ここからが本題です。
Cさん 「胃痛と背中の痛みがありまして」
私 (胃痛と背中なら中部胸椎だろうな~)と、思いつつカルテをめくっていると、ナント!1年前の今日にも同じ症状で来院されている。
私 「1年前とまったく同じですよ」
Cさん 「そうなんです。私、5年日記というのをつけていましてね。たまたま見ていたら去年と同じ症状で、こちらに伺ったら両方とも楽になったて書いてあって、今日もこちらに伺おうと思って来たんです」
私 「そうですか。臨床で見てると、そういうケースが意外と多いんですが、ピッタリ1年後に来られたのはCさんが初めてですね」
と、いうようなケースがあったのです。
これはいくつかの偶然が重なって起きた珍しいパターンだと思います。
5年日記をつけていた。
その症状が出た時にたまたま1年前の日記を見た。
そして、アロハカイロ&フットパラダイスに来て随分症状が改善したことが記録されていた。
(な~んだ、結局自慢話か-、とツッコミ入れないでくださいね)
何故、こういうことが起こるのかは前回ご説明した概年リズムにプラス何かの生命体の神秘な部分があるのかもしれません。
がしかし、臨床の場でこういう経験をしているドクターや手技療法家は多いことと思います。
前述のフルフォード博士も何故こういうことが起きるかは分からない、としながらもこう推測しています。
-身体にとっての急激で大きな症状は改善した後も、筋肉などのある場所にトラウマとして記憶が残される。それが、何かのタイミングで記憶が取り出される。それが1年後かもしれないし、5年後や10年後かもしれない。ただ、痛みの記念日がやってきたとき、カレンダーを振り返り、ああそれがやってきたんだと理解できれば、不安に感じないで済むだろう。-
身体というものはどこまで行っても不思議で神秘的な存在なようです。[裕]
今回はプラセボ効果の話です。
プラセボ効果とは医師が偽の薬を患者さんに与えても、本当の薬を与えられたかのように利いてしまう作用のことを言います。
例えば、医師が下痢に苦しむ患者さんに
「これは最近開発された新薬で良く効きますよ」
と、いって実際には糖類しか入っていない薬を与えても、それを飲むとぴたりと下痢が止まってしまう・・・ということです。
まぁ、実際のところは臨床の場で処方されることは少ないようですが。
これを今でも行っているのが新薬の研究の場。
医師が本当の新薬と偽薬を与えて本来の薬効を比較対照実験から調べようとするものです。
例えば、先ほどの下痢に対する新薬実験の場合、本当のところ効き目があるのは100人中70人だったとしましょう。
それが、プラセボ効果があるために、新薬実験単独の場合、期待感もあって100人中80人に効いてしまうケースが出てくるかもしれない。
そこで、プラセボ効果がどれほどあるのか同時に調べておくのです。
患者さんには偽薬と知らせずに新薬だと偽って効果を見てみると、100人中10人に効いた。
80人引く10人で70人。
これが単盲検法。患者さん側にだけ真偽が知らされていないということです。
でも、これでも医師の側に内心偽薬に対しては『これは偽の薬だもんね』、新薬に対しては『この新薬はすごい!この人に絶対効くはずだ』
というバイアスがかかってしまう問題があるので、医師のほうにも薬の真偽が分からないようにするのが二重盲検法なのです。
さて、ここまで見てくると、まったく薬効の無い薬(といっていいのかな、物という表現のほうがいいのかな)をはさんで渡す側の心理や受け取る側の心理で薬の効き目に増減があるということです。
(薬効が無いのだからどんな心理状態であろうとも、何回検査をしても、万人に対して効き目はゼロということではない)
実際には痛み、下痢、不眠などの症状に対してプラセボ効果がで易いそうです。
人の身体というものは不思議なもので、新薬開発というどこまでも科学的な研究をしなければいけない場においても、人の心理によって身体が変化するという不確定要素を考慮しなければならないようです。
ここアロハカイロ&フットパラダイスでも、使えるプラセボ効果ならどんなものでも使おうと考えています。(笑)
窓から入る採光の具合であったり、BGMのハワイアンミュージックであったり、リラックス効果の高いラベンダーオイルの香りであったり・・・
その甲斐あってかとても信頼関係を高く築けた患者さんとはこんなやり取りがあったりします。
来院時にドアを開けてすぐ
「あぁ、先生の顔を見たとたん、身体が楽になったような気がするわ!」
すいません。2回続けて自慢話です。[裕]
入学、新学期、入社、新年度・・・
日本社会は4月はスタート月ですね。
桜が咲いて、暖かくなり、春が来たことが実感できるのも4月。
心も体もウキウキして、何か始めたくなるのもこの時期です。
新たに決断するのもお正月より4月!という人も多いことでしょう。
これは、子供も大人も一緒。
ただ違うのは、子供は新たに何かを始めるのがとても前向き。
産まれてきてからの年月、経験が浅いし(あたりまえ)、エネルギー(パワー)があるから
聞いたらビックリするような、突拍子もない決断を平気でするし、やってのけたりしますよね。
でも、大人は決断するとき、色々と考え込んでしまいます。
例えば、学歴、職歴、年老いた親がいるとか、子供がいるから、他にも周りからの目や体裁を気にしたり、もちろん体力が、金銭が・・・etc極端に言ってしまえば、自分の行動について何かを決まるとき、子供は未来の自分に相談して決めていて、一方、大人は今現在までの過去の自分に相談する。
大人は自分で行動を知らず知らず限定しているのです。
私の靴の師匠は、昭和一ケタ生まれ。
今現在も現役で、休むことなく、何百人もの生徒に手作り靴の手ほどきをしていらっしゃいます。
ちょっと前に、その師匠から
「福島県双葉郡大字・・・
という僻地に住民票をうつします。
念願の農的靴職人へ後期高齢にはいり
踏み出します・・・」
と、私の近況連絡の返信をいただきました。
自分の食べるもの、身に着ける(靴)を自分の手で作り、自分らしい環境の中で生きていくことの決断と実現の連絡です。
常に新しいことにチャレンジしておられること、本当に尊敬します。
家のことが落ち着いたら・・・とか、金銭的に余裕が出たら・・・仕事が落ち着いたら・・・
ということを言っている人は、その頃が来たときは、また次の言い訳を考えて、いつまでたっても行動を起こさないのでしょう。
すべての準備が整ってから動くのではなく、「使用する道具を拾い集めながら進む」ということが重要なんでしょうね。
と、コラムを綴っている私もキーボードをたたきながら、自分に言い聞かせているのですが、大人になる色々な情報が入ってきてしまっているがゆえ失敗を恐れますが、その恐怖に打ち勝つ人こそ本当の「人生繁盛」を手にするのだと思います。[素]
アロハカイロ&フットパラダイスがここ鎌倉の六地蔵でオープンして早や6年半が経ちました。
地元密着でやっていると、様々な人間模様が見られます。
今回は今から5年前にあったある出来事のご紹介です。
(このコラム内でのお名前は仮名を使っています)
ちょうど5年前の2004年のゴールデンウィークに同じ商店街のお店の女性から電話で連絡がありました。
「真奈美です。私の職場の後輩がギックリ腰になったみたいで、診てもらっていい?」
その日の夕方に戸田さなえさんが来院されました。
症状は前屈30度で痛みの出る軽いギックリ腰。
大腰筋と腰椎4番に対する軽めの刺激でものの15分ほどで両手をべったりと床に着けられる位に腰痛が改善したのです。
(この時は我ながら上手くいったな~と驚いたぐらいなのですが)
そして5日後に、その話を聞いてこられたのが実のお母さんの近藤明美さん。
彼女が今回のコラムの主役となります。
彼女の症状は慢性的な腰痛。
これは通常通りの施術をその後1ヵ月に1度のペースで続けてゆきました。
そして4ヵ月後の2004年9月。
月初に越智昭子さんが近藤明美さんのご紹介で来院されます。
症状は全身倦怠感。
このときの施術もたまたま上手くいったのか、いたく気に入ってもらえたようで、すぐにお2人のご友人をご紹介下さいました。
お1人目は翌日に来られた藤田友和さん。
この方も戸田さなえさんと同じく、前屈30度で痛みの出るギックリ腰。
施術後は前屈でずいぶん痛みが軽減したようです。
お2人目は2週間後にご来院の安藤友子さん。
症状はいわゆる五十肩です。
その後、2ヵ月後の2004年11月に藤田友和さんのご紹介で義理の息子さんの山川昭信さんがご来院されます。
この方の症状は学生時代に頚椎を剥離骨折して、それ以来疲労がたまると首がどうしようもなく痛くなるとのこと。
この方に対する施術もどうやら上手くいったみたいで大変喜んでいただけたようです。
ここまで、おかげ様で真奈美さん→戸田さなえさん→近藤明美さん→越智昭子さん→藤田友和さん→山川昭信さん→安藤友子さん
と、次々と紹介の輪が広がっていたのです。
しかも、最初の真奈美さん以外全員小坪在住の方なのです。
(小坪とは逗子市の1地名なのですが、鎌倉との市の境にある町のことで、逗子マリーナもここにあるのです)
オープンしてやっと2年。鎌倉以外のところでも紹介の輪が広がるようになってきたな~ありがたいな~などと思っていた矢先の2005年年明けに非常に疲れた顔で近藤明美さんが来院されました。
話を聞けば、越智昭子さんが12月に急逝されたとのこと。
こちらにお越しいただいていた方の訃報に接する初めてであったため私も大変驚いたのです。(つづく)[裕]
昨年12月に急逝された越智昭子さんと近藤明美さんは年齢も近く、近所にお住まいで昔から姉妹のように育ったそうです。
実際、私がご来院頂いたお二方を見たときも非常に雰囲気が似てるな、と思ったほどです。
さて、近藤明美さんからお話を伺った状況は以下のようでした。
その当日、午後に近藤明美さんの所へ越智昭子さんから電話があった。
電話の内容では急に体調が悪くなった。
近藤明美さんは急いで駆けつけたが家中鍵がかかっていて中に入れなかった。
急ぎ救急車を呼び、救急隊と家の中に入ったが容態はかなり悪い状態で病院へ搬送されたが亡くなった・・・
病院の診断によるとクモ膜下出血だったそうです。
その翌年の2005年 近藤明美さんの体調は徐々に回復に向かい来院の頻度が少なくなってゆきました。
そして、すっかりそんな出来事も忘れかけていた2006年の11月。
いつものように朝9時半ごろに治療院に到着した時、留守番電話のランプが点滅している。
メッセージを再生すると
「2年ほど前に家内がお世話になっていました越智と申します。家内に前から勧められていたために一度診て頂きたいと思いお電話をしました・・・・」
このメッセージを聞いたとき、私は全身鳥肌が立つほど感動をしたのです。
2年近く前に他界された越智昭子さんのご主人があんなに大変なことがあったにもかかわらず、2年もたった今ここアロハカイロ&フットパラダイスのことを思い出して頂いてご連絡を頂ける。
まるで天国からのご紹介のような出来事が、ごくごく普通の生活をしている平凡な朝に訪れるということ。
この出来事はただただ、私個人が感動してしまう、ということなのですが、もうひとつの出来事があるのです。
それはまた次回に。[裕]
話は前回、前々回から続きます。
2004年12月に越智昭子さん急逝。
翌年の2005年1月に失意の近藤明美さんからその事を聞かされ私もショックだったのですが、その後彼女は徐々に体調も回復に向かい来院の頻度が少なくなってゆきました。
その翌年の2006年2月に久しぶりに近藤明美さんが来院されました。
その年の冬はここ鎌倉、小坪にも多くの雪が降り積もり、何日も雪が解けない状態でした。
そんなある日の朝、近藤明美さんはいつものようにゴミ出しをしていたのですが、自宅の手前は急な下り坂。
滑って野球のスライディングをするような体勢で何メートルも落ちてゆき、左肩を強く打撲したそうです。
左上肢(おおよそ肩~手までのこと)の可動域を検査すると、70度挙上で肘が曲がり、それ以上挙げられない。
結髪動作制限(女性が頭の後ろで髪の毛をポニーテールのように結ぶためにする動作)がある。
いわゆる五十肩の症状です。
このケースでは4ヶ月ほど月に3回のペースでお越し頂き、5ヶ月目にはほぼ問題のない状態まで回復したのです。
ちょうどその頃の私と近藤明美さんとの会話です。
近藤さん「越智昭子さんが亡くなって1年半、やっと最近私も落ち着いてきたんです。」
私 「そうですか。良かったですね。」
近藤さん「亡くなってからの半年間は毎日のようにお墓に行ってましてね。墓前で泣き崩れていたものなんですが、それが時間が経つうちに、1週間に1度になり、2週間に1度になり・・・時間が経つことでずいぶん気持ちが楽になるものですね。」
私 「それはなによりですね。」
近藤さん「それで先生、今日はこの指輪なんですがね、ハワイ語が書いてありますでしょ。こちらはハワイについてかなりお詳しいので、その意味を教えていただければと思いまして。よろしいかしら?」
私 「もちろんです。私もここ4ヶ月ほど近藤さんがこの指輪をなさっているので気にはなっていたんですよ。」
と伝え、意味を書き写し受付にいるとっても、とってもハワイが大好きな妻に近藤さんがお帰りになるまでに調べておいて、と手渡しました。
近藤さん「この指輪なんですがね、実は越智昭子さんが亡くなる何日か前にハワイに旅行に行ってましてね、私に、と言って買ってきてくれたものなんです。なので、最近はもうこれしか身に着けていないんですよ。」
その指輪はハワイではよくある銀のハワイアンジュエリーで刻まれていた文字は
[KUUIPO]
施術が終わり、今日どこをどういう感じで調整したかを説明していた時に、妻からメモが帰ってきました。その意味は、
[愛しい人よ]
ハワイアンミュージックがBGMに流れる中、近藤さんがひとしきりむせび泣いた後で、
近藤さん「偶然かしら?」
私たち二人は同時に
「いえ、言葉がわからなくとも気持ちがそうだったので、きっとその言葉の指輪を選んだんですよ。」
さて、このコラムの最初の出だしに戻って、アロハカイロ&フットパラダイスがここ鎌倉の六地蔵でオープンして早や6年半が経ちました。
地元密着でやっていると、様々な人間模様が見られます。
まるで、小説の1シーンのようなこんな出来事もあるのです。
なかなかに仕事とはおもしろいものです。[裕]
私はかなりのそば好きです。
以前、東京の西日暮里に住んでいた頃は休日に蕎麦屋めぐりをしていたほどです。
どんな蕎麦屋めぐりをしていたかと言うと、休日の朝起きると軽くトーストの朝食で済まし散歩の開始です。
まず、早めの昼食を西日暮里駅近くの蕎麦屋を2軒はしごします。
注文するのは「せいろ」1枚のみ。
さて、その足で谷中をぶらつきながら、不忍通りに出て千駄木の蕎麦屋へ。
そこから不忍通りをさらに南下して、根津神社脇の蕎麦屋へと。
この間11時から始まった散歩+蕎麦屋めぐりは5時間ほどの所要時間です。
さて、前置きが長くなりましたが(それだけ蕎麦好きの私が気に入ったということで)、
今回ご紹介の鎌倉美味いもの自慢は材木座郵便局の近くに去年オープンしたお蕎麦屋さん
「梵蔵」(ぼんぞうと読みます)
最初にこのお店を知ったきっかけは、やはりこちらにお出での方からです。
その方は材木座にお住まいの方なんですが、何の飲食店か気にはなっていいるんだが、周囲の人に聞いても
誰も入った人がいないので二の足を踏んでいるとのこと。
その後、私たちも光明寺のお十夜(10月12~15日)を見に行った帰りお店の前を通ったとき、
店名を示す看板からどうやら蕎麦屋らしい、ということがわかったんですが、店の外にメニューが出ていない。
店の外観はオシャレで中からはジャズのBGMが洩れてくる・・・
うっかりするとここ鎌倉は観光地価格というのがあって「せいろ」1枚2,000円な~んてこともあるので、
その夜は私たちも二の足を踏んでしまったのです。
(後日、おすし屋の和さびのご主人に言ったら笑われましたが・・・)
その後、お店の外にメニューが出るようになり、お値段はリーズナブル。
その頃から、材木座にお住まいの方が何人もお店に行って来て美味しかったと教えてくれました。
私たちも大晦日の年越しそばを含め、何度かお邪魔させていただいてます。
夜のせいろは十割そばなんですが、パサパサとせずしっかりコシもあって美味しい。
それ以外の肴で美味しいのは、胡麻豆腐と鴨の料理かな。
店内にはガラスで仕切られた蕎麦打ちの部屋もあり、BGMにはアストラッド・ジルベルトの曲なんかが流れていたりします。
2001年に鎌倉に引っ越してきて、食べた蕎麦屋では、味、値段、店の雰囲気、接客などを含めイチオシのお店です。
残念ながらのここも水曜定休。
URL http://www.bonzo-kamakura.com [裕]
ここアロハカイロ&フットパラダイスには色んなお仕事をされている方が来られています。
圧倒的に多いのは普通に会社勤めをされている方々が多いんですが、中には誰でも知っている超大手の保険会社の副社長さんや霞ヶ関の高級官僚だった人もいらっしゃています。
珍しい職業では作家(直木賞にノミネートされたことがあるらしい)、世界を股にかける投資家、茅葺き職人なんて方もいるんです。
さて、ここ鎌倉らしいと言えるかもしれない職業に遺跡発掘調査員という方も2人ほどお越し頂いています。
歴史好きの私としてはこのお2人との会話はとても楽しいいのです。
あのあたりは武家屋敷が多い地域だったのでその遺構がよく出るとか、
あのあたりは新田義貞の鎌倉攻めの合戦場だったから人馬の骨が出るとか・・etc
鎌倉の旧市街(切り通しの中の地域)では家の建て替えの為、土を○メートルでも掘ればどこでも遺跡が出てくる可能性があるんだとか。
その遺跡発掘調査員の女性の方と話している時に過去6回ほどの来院の日付を見ると○月24~26日というのが多い。
その事を彼女に話すと、
「あ~、私って新月が最高に調子悪いのよね~ それを越えてもまだ調子が悪いとこちらに伺うの。私の周りの人はみんな新月の時調子悪い人ばっかりなんだけど、そうじゃないの?」
彼女を送り出した後、マニアックで検証好きの私がネットで月例カレンダーを調べたのは言うまでもありません。
すると、彼女の言い分どおり来院したの日はいつも新月を過ぎて2~3日後ばかりなんです。
これは以前コラムで触れたサーカリズムの中の概月リズム(がいげつりずむ、circalunar rhythm): 約1ヶ月 に当てはまります。
さて、それでは大数の法則は当てはまるかと、治療院全体の過去6ヶ月の予約ノートを調べてみましたが、これは当てはまらない。
(みんながみんな新月後に来るというわけではない)
想像するに、土を掘り悠久の過去の遺物と対話し、想像力を働かせレポートにまとめるというお仕事をされていると、過去、月を見て暦を読んだ先人のように月と同調する身体になったのかもしれません。
ヒトも本来は強く持っていた生理作用なんですが、電化した生活(照明、空調など)モータリゼーションの発達などで現代の人はその生理作用を弱めていったのでしょう。
生活の中で月齢を意識する、ということは案外良いのかもしれません。[裕]
ボディーラインの気になる季節。ムクミが気になりませんか?
ムクミはそのままほっておくと、「冷え」や「セルライト(脂肪の塊)」の原因なることも。
最近は生活環境が変わり、女性だけではなく、男性もむくみに悩んでいる人が多く見られます。
このムクミというもの、簡単に言うと、老廃物や水分が体内に溜まっている状態です。
人間のからだには、血管とリンパ管が張り巡っています。
血管には血液をつうじて、身体の隅々まで酸素や栄養を送り込み、老廃物を回収する働きがあります。
リンパ管はリンパ液で栄養(特に脂肪)や細菌と戦う白血球を分配したり、細胞間にある余分な水分や老廃物を回収し、リンパ節でろ過して再び血管に戻す、いわば、身体の下水道の役割をしています。この流れが滞ると、足や手がパンパンになって、血液循環も悪くなって冷えの症状を引き起こしたりします。
身体が冷えると、その部分の冷えを解消するために、脂肪が溜まりやすくなります。
血液やリンパの流れが悪い状態が続くと、その脂肪がセルライトとなって、さらに老廃物の回収を妨げるという悪循環が生まれるのです。
リンパの流れは筋肉運動によって促されますが、例えば長時間のデスクワークで同じ姿勢が続くと、肩が凝ったり足元が冷えて浮腫んだりします。
その時に、適度な運動やストレッチをしたり、マッサージが出来れば理想的ですが、身体には数ヶ所の大きなリンパ節があり、そこで老廃物がろ過されるため、そのリンパ節を刺激するだけでも、ずいぶん状態は良くなります。
例えば、耳の真下の首筋、鎖骨下のくぼみ、わきの下、足の付け根、膝の裏などがあります。
むくみやコリの気になるところに近いリンパ節をイタ気持ち良いくらいの強さでほぐしてみてください。
また、足のムクミが強い方は、イスに座るときに、太腿の裏側がイスから軽く浮くように、足元に台を置いて足を高くして座るとリンパや血液の循環の圧迫を防ぐことが出来ます。
それでもムクミが気になる時はアロハカイロ&フットパラダイスへどうぞ。[素]
これから何回かは恥をさらして酒の話題なんかを。
私はお酒を飲むのが好きです。
そして、困ったことにそこそこの量が飲めてしまうんです。
初めて飲んだのが高校1年生の時。
一人自宅で留守番の夜があったので、同級生とその夜飲む約束をしていました。
同級生の友達は祭りのたびに中学生時代から酒に鍛えられているらしく、彼は
「俺は酒は強いぞ」
と、豪語していたのです。
そのとき生まれた初めて酒を飲んだ私は、彼と全く対等に飲み明かし、翌朝、飲んだビールの量を計算してみると、
2人で8リットル。
あぁ~自分は生まれて初めて酒を飲んだのに、これ位飲めるという事は、そこそこ酒は強いんだ。
と、自覚した覚えがあります。(俺は強いと豪語していた友達は夜中に吐いて大変でしたが・・・)
さて、高校、大学、社会人と歳が進むにつれて酒に磨きがかかってきたように思います。
20歳代後半は外で飲んでいても日本酒1升は飲めるようになっていて、その頃から、ひどい二日酔いを経験するようになってきたのです。
(当たり前か)
それに伴って出てきた症状にアルコール健忘症というのがあります。
酒を飲んでる当事は普通に会話もしているし、度をはずすようなこともしていない、でも、寝て翌朝になると、
前日のことが思い出せない。いや、正確に言うとある一定の時間帯だけどうしても記憶に残っていない、そういうものです。
友達が酒を飲むと記憶が飛ぶんだ-なんていうのを聞くと、それって後で自分が何をしていたのかわからないから怖くないのか?
と、思っていたものですが、私も20歳代後半からそういう症状が出始めて、年とともに磨きがかかってきてるんです。
ただ、私の場合決まって記憶が飛ぶのは、楽しい酒の時に起きるのです。(と、言い訳をしている)
これが、接待や仕事がらみで義理で飲む席では、どんなに酒量が過ぎても、しっかり昨日の晩のことは覚えているのです。
最近では、外で飲んで記憶が飛ぶのは、楽しい酒の時なんだから、まぁいいか!ぐらいの感じなので困ったものなんですが・・ [裕]
さて前回からの続きです。私は勤務していた会社を退職し、3年間学生をしていた時期があります。
池袋のカイロプラクティックの専門学校に通っていたときのことなのですが、授業は月~金で朝9:30~16:00までの時間帯です。
その後は同じ池袋の治療院で17:00~22:00まで働くという生活でした。
このときのスタッフとはみんな仲良く、毎週のように飲みに行っていたんですが、この3年間の生活で1番飲んだ場所が、実はハワイ。
専門学校時に1年に1回、1週間の日程で行ったハワイ州立大学での解剖実習を体験してきたのです。
毎日9:00~15:00までの時間で、初級、中級、上級コースに分かれ人体解剖をするのです。
(これはその後、触診という技術に非常に役立ちました)
解剖が終わった後は、ホテルに戻り自由行動です。
この解剖実習の旅行がまた、専門学校では修学旅行のようなノリになってしまうのです。
私の所属したクラスの学生の年齢構成は19~42歳と幅広いのですが、幸いにも皆仲がよく、毎晩どこかの部屋で宴会が始まります。
さて、しこたま飲んだ翌日、夕食を20歳のOくん(当然飲酒歴は浅い)と食べながら会話が進みます。
「昨日は高橋さん飲みましたね~」
「そう?外で飲むときはあんなもんだよ」
「でも、Mさんと歌を歌ってたでしょう?モーニング娘の関西弁バージョン。1年一緒だけどあんなコテコテな高橋さんはじめて見ましたよ」
「う~ん??・・・」
「あれ、覚えてないの?その時って意識が無いってこと?」
「いや、ある!君にはわからんだろうが、アルコール健忘症を10年もやっている俺に言わせてもらえば、普通に意識はあるんだ」
「じゃぁ、普通に意識はあるけど、忘れちゃうわけ?」
「まぁ、それに近いな。でも、すべての記憶が消えているというよりは途切れ、途切れなんだな」
「じゃぁ、SさんとAS腸骨(骨盤の前傾変位のことです)について語ってたことは?」
「もちろん覚えてる!その側の大腿直筋の短縮について熱く語ったはずだ」
「あ~本当だ。覚えてる。じゃぁ、ベランダにふらふらと出て行って、I君たちに危ないからって抱きかかえられてた事は?」
「・・・・」
(Iはそうとう酒癖が悪いじゃないか。そいつより先に俺は逝ってしまっていたのか)
「あ~、それは覚えていないんだ!じゃぁ、何時ごろまでなら覚えているの?」
こうして私は20歳のOくん(当然飲酒歴は浅い)から1問1答形式の事情聴取を終え、わかったことは
11時半で記憶がきれいに吹っ飛んでいることでした。
それから当分の間クラスでは「11時半の男」呼ばわりをされたのは言うまでもありません。[裕]
前回のコラムでは3年間のカイロプラクティック専門学校生活と、その中で1番飲んだくれたときの話でした。
その専門学校を卒業して10年近くになった今年の春のこと。
私の治療院のポストに1通の封筒が投函されていました。
その差出人のお名前がK先生。
私が3年生の時、SOTテクニックのアドバンスコースを直接ご指導いただいたインストラクターの先生です。
(ちなみに、この学校のインストラクターとは雇われ教師ではなく、皆さんご自分の治療院をお持ちの方で臨床経験豊富な方が指導にあたってくれるのです。)
SOTテクニックとはSacro Occipital Technic の略で仙骨後頭骨テクニックと呼ばれるものです。
このテクニックは筋骨格から内臓、脳脊髄液の調整、手足の調整など広範に渡った、しかもマニアックなテクニックなんです。
(そう言いながら私は今現在もこのテクニックを主要なテクニックに使っているのですが・・・)
そのテクニックのアドバンスコースを1年間教わったのが先程のK先生なのです。
この先生とは卒業後、1,2回年賀状のやり取りをさせて頂いているうちに音信不通になり、それっきりだったので、なぜ今の私の治療院の住所がわかったのかと不思議だったのですが、どうやらこのHPで所在がわかったようです。
さて、用件は今開業されている東京の治療院をクローズして、故郷の北海道へ転院されるとのこと。
ついては、神奈川方面の患者さんにここアロハカイロ&フットパラダイスを紹介するのでよろしくとの主旨でした。
この手紙を受け取った私の第1印象はもう何年もお会いしていない上、お会いしていたのは私が学生のときだったのにご自分の治療院の患者さんをご紹介して頂けるということが、とても光栄に感じられたのです。
さて、急ぎお礼の電話を入れ、北海道での転院開業先が決まったらご連絡くださいと、別れの挨拶をしたのです。
それから、2ヶ月ほど後に開業通知のはがきが手元に届けられました。
わたしは早速、開業を祝うメールを送ったのですが、その返信のメールが今度の治療院の場所の良さや専門学校時代の思い出などで触れられた後、追伸が標題の内容です。
追伸、暑さ厳しくなる季節ですのでビールの飲みすぎでおなかを冷やさぬように(笑)・・・
おかしい?あの学校では2、3人生徒と飲むのが好きな先生はいたが、このK先生とはついぞ1回も飲む機会が無かったのになぜ私が酒飲みというとことがばれているんだろう?[裕]
何回かは恥をさらして酒の話題なんかを、というコラムの今回は最後の話です。
普段、酒をよく飲むという話をしてきたのですが、基本的には家飲みです。
晩酌に冷酒。
その後、就寝まで歴史小説なんぞを読みながらダラダラとバーボンロックを飲む毎日です。
さて、そんな日本酒好きの私も若い頃は居酒屋で飲んでいるオジさんのあるお酒の飲み方には変だな~と感じていたのです。
枡の上に1合用のコップが乗せられて運ばれてくる。
そこに日本酒が注がれる。
コップの表面張力を超えて枡にこぼれるように注がれる。
その時、大喜び。(表面張力で止まったらなんだ!ケチな店という表情をしてしまう)
ひょっとこのお面のように唇を尖らせて最初の一口をチュ~とすする。
その後大満足の表情。
あのようにはなりたくないもんだ思っていた10-20代のころからはや20ン年。
似たようなことをしてしまっています(笑)
食卓の上にお気に入りのお酒をこぼしてしまおうものならチュ~とすす・・らないけど、それぐらいお日本酒に関しては愛着があるのです。
さて、話はころっと変わってアロハカイロ&フットパラダイスではこちらへお越しの多くの方から頂き物をするのです。
お歳暮お中元のようなものではなく、ほんとにちょっとしたものなんですが、とおっしゃていろんなものを頂いています。
お菓子や、果物、干物、ジャム、しらす、野菜、旅行に行ったときのお土産など等。
ありがたいことです。
その中でも、私が酒好きと知ってか酒の肴になるような物なんかも多くいただけます。塩辛、エイヒレ、ふき味噌などそして、お酒そのもの。
頂いたお酒の酒造メーカーの土地や使用米、ランクを見ると飲む前からよだれが出てきそうな銘柄を頂けたりもするのです。
その方に厚く熱くお礼をすると
「いや~、うちでは家中誰も日本酒を飲まないんですよ。うちではせいぜい料理酒ですね~」
お酒のランクを見ると、なんと!山田錦を使った純米・・・大吟醸!!
もったいないことこの上なしです。[裕]
私たちがここ鎌倉に転居してきたのは2001年の5月のことでした。
それまで東京に住んでいたときは2~3ヵ月おきに大好きな土地である鎌倉に遊びに来ていたように思います。
越してくる前に住んでた町は大塚。
といっても、東池袋に程近く池袋までは歩いて10分。
住んでいたアパートからはサンシャインビルがすぐ近くに見えていました。
鎌倉に引っ越してきた当初、思ったことは空が青いて広い!でした。
そして、今の自宅は材木座の滑川の河口に近い海沿いの場所にあります。
ちなみに滑川(なめりがわと読みます)は鎌倉市街地の中心部をほぼ南北に流れる川です。
頼朝の時代は今よりも水量が多く八幡宮や鎌倉宮と海との間を船が行き来する運河的な機能を持った川だったようです。
さて、海から1本陸地側に海岸橋という橋があります。
私はこの橋を毎日2往復はするのですが、引っ越してきた当初も鯉が泳いでいてきれいな川だなと思ったんですが、ここ2~3年は特に水質がきれいになったように思います。
ある時期になると橋の上から釣りをやっている人がいる。
何が釣れるんですかと覗いてみるとバケツにうなぎが何匹も釣れていたりするんです。
さて、その水質がきれいになったと同時に見れるようになった生き物が水鳥。
下の画像にあるのがカワウ(川鵜)とアオサギ(青鷺)やダイサギ(大鷺)たちです。
カワウ(川鵜)は長良川の鵜飼いで有名なあの鳥です。
水質がきれいになったため川に魚が増え、それがあの水鳥たちをこの滑川の河口に呼び寄せたのでしょう。
毎朝、私はこの橋を通るのですが、橋の上の電線にいつもいる彼らを観察するのが日課になっています。
不思議と電線の上でも指定席があるらしいのです。それに、いつも電線の上から海(河口)の方にしか向いていない。
1羽のときもあるし、3羽のときもある。
羽を大きく広げ、小刻みに震わせるポーズをしばらくとっていたり。
でも、下を通るときは要注意。
以前も下を通り抜ける寸前で1メートルほど手前に 「ポチョリ」 と音がする。
空爆には気をつけなければなりません。[裕]
以前このコラムにバーベキューのことを書きました。
(2004.04.29 ☆BBQ大会 in 材木座ビーチ☆)
アロハカイロ&フットパラダイスのこのHPも2001年からデザインの変更も無く、今度の11月1日の7周年を機にリニューアルをしようと思っています。そこで、この2ヵ月ほどコツコツとページの編集をしているのですが、その中で以前バーベキューのことも触れたんだな~と思い出したのです。
(この編集の作業中は空き時間を見つけてはずーっとこもってやっていたので、私は職業換えをしてHP制作会社の社員かと勘違いするほどでした)
で、今回はバーベキューの話です。
この「KAMAKURA flat out」主催のバーベキューは2003年から定例的に由比ガ浜ビーチで行われています。
開催時期は毎年5月と10月の第3水曜日。
われわれの仲間の商店が水曜定休が多いのと、
主催者の一人で欠かせない人物に「ひな鳥処 とり一」の店主のお休みが
第3週だけ火・水連休だからです。(だから、2~3割は彼のための集まりといってもいいのかな)
さて、今回行われたのは10月21日(水)11:00スタート。
テントを3つ設営し、バーベキューコンロも3つ用意してバーベキューのスタートです。
最初は、たびたびこのコラムでも出てくる「かまくら ふじい」の店主が仕込んだスペアリブ。
それから、「ひな鳥処 とり一」の店主が下味をつけた鶏肉。
(これはやはり美味い)
それに、今回初参加の焼肉屋 「やんちゃ坊主」の店長がお店から持ってきてくれた牛・豚を店長自ら焼いてくれたのです。
差し入れではパン屋「KIBIYAベーカリー」の方が持ってきたくれたベーコンを挟んだフランスパンもコンロで暖めます。
このように多くのお店が集う中、お店の知り合いも多く参加されてます。
その数総勢60名。
当日は会社を休んで参加したという人もかなりの数に。
天気は快晴で(この集まりは晴ればかりなんです)少しサイズのあがった波を見ながらのビール。もう言うことはありません。
ヘリコプターとパラセイルを組み合わせたような乗り物が空を飛ぶシーンなんかも見物できました。
終了は夕暮れ時で6時過ぎ。
7時間に渡る飲み食いは楽しいためか あっ という間に過ぎるのです。[裕]
おかげ様で2009年11月1日でここ鎌倉の由比ガ浜に開業して7周年となりました。
今日の天気は晴れ。最高気温は26℃です。
(やはり年々温暖化してるな)
これを機に身の上話などを少々・・・
ここアロハカイロ&フットパラダイスで施術をしているとお越しになられた方と様々な話をします。
一施術にかかる時間は概ね45分~50分。
それだけの時間があるわけですから、本当に様々な話をするのです。
健康上の話はもちろん、仕事の話、育児の話、グルメの話、地域の話、趣味の話、恋愛の話、別離の話・・・
そういった中で、健康関連以外でよく受ける質問が
どうしてこのお仕事をされるようになったのですか?
どうしてここで開業されたんですか?
お二人はご夫婦なんですか?
です。
私がカイロプラクティックを志したきっかけは28歳の時の自身の事故体験です。
まだ、外資系保険会社の社員だった頃、8月のある休日にホンダのSteedというバイクに乗って当時住んでたコンクリートの建物だらけの街から実家の近くの海へ出かけていたのです。
その帰りに日本で最大規模の花火大会があるのを思い出し、寄り道をしたんですがその折に車と出会いがしらの衝突をして重症に。
私の怪我は右足のふくらはぎが20センチほど裂け、右足首骨折、両肘骨折、無事なのは左足のみで
車椅子生活1ヶ月、松葉杖生活2ヶ月。都合3回手術をしました。
それでも私のほうが怪我は軽く、後ろに乗っていた彼女は右足が開放骨折。
砕けた骨が足から飛び出てるという状態です。
そして、装外固定(足が金属の串で左右に貫通している状態で固定する)で半年間はまともに歩けない状態でした。
さて、退院も間近な頃から後遺症に悩まされるようになります。
夜、目をつぶって眠ろうとするとまぶたの裏に何かの残像がずーっとちらつく。めまい、吐き気、今まで無かった肩こりetc
後遺症を訴えて病院で検査をしてもらったのですが、MRI(当時導入されてる病院は少なく先端の機器で調べてもらったのですが)
の検査結果を見ても異常なし。
当時の脳外科のドクターは診療中、私の顔を一度も見ずに、MRIのフィルムと会話するかのように言ったのが
「頚椎のズレは認められるものの、圧迫までは到っていないから、あなたの症状は自律神経失調症でしょう」
その後、首をつっても(牽引のことです)薬を飲んでも一向に良くならない。
そんな思いをしている患者さんは多いんですね。
入院している時に仲良くなった患者さんの一人が
「カイロいいよ-」
(やっと出てきました)続きは次回に。[裕]
今日の天気も晴れ。しかし、木枯らし1号の風が吹き最高気温は14℃。たった二日で12℃の違いです。
季節的には9月中旬の気候から12月上旬の気候変動幅です。体が辛いという人が多いんじゃないのかな。
さて、前回から話は続きます。
私が苦しんでいた後遺症にカイロがいいよと患者仲間が薦めてくれ、当時住んでいた街にあるカイロプラクティックの治療院の門をたたきます。
そこの治療院の入り口にはカイロプラクティックの学校の卒業時の記念写真が飾ってありました。
(それが印象に残っていたのか私たちの治療院でも解剖実習時の写真を飾っています)
先生は当時30歳代後半ぐらいだったかな。
一通りの問診を受け、施術を受けることに。
先生
「ここがすっごく曲がってるよ。病院で指摘を受けなかった?」
その先生が指摘したのは中部胸椎(肩甲骨の間ぐらい)のズレ、今でも年に何回かつらくなるところなのです。
事故当時、私はバイクから吹っ飛ばされ、お城のお堀のような石垣に背中から叩きつけられて打撲した箇所なんです。
施術の方法はトムソンテーブルというもので、ベットの一部が瞬間的に落ちる機械を使ったものです。
それで、骨盤、胸椎、頚椎と調整してくれたのですが、これがとても具合がいい。
あれだけ訴えて、検査してもらって、長い間首をつったり(牽引です)薬を飲んだりしたのに一向に改善しなかったものがものの30分ほどの施術で劇的に改善した、これは驚きでした。
そこの治療院には定期的にお世話になっていたのですが、1年後に東京に転勤となり、また治療院探しが始まります。
あちこちの治療院を巡り歩いていた時に、灯台下暗しだったのですが、自宅近くにあった西日暮里の一軒の治療院に飛び込んだのですが、ここがとても良かったのです。
当時の私も、よほど変わった患者だったろうと思うのですが、定期的に施術を受けるたびに先生に技術的な質問をしたり、医学的な知識が一切無いのにカイロプラクティックや他の手技関連の本を借りて帰ったりしていたのです。
そして、一大決心をして
よし、カイロプラクティックをやろう!
と、その先生が所属する協会パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会の学校へ入学したのです。
続きは次回に。[裕]
今日も天気は晴れ。
最高気温は22℃です。
カイロプラクティックの専門学校の就学期間は3年間でした。
授業のある日は月曜から金曜日までで、時間は朝の9:30から夕方4:30まで
夏休みなんかもあって、全日制の中学校か高校並みのカリキュラムです。
午前中が実技の時間で、午後が基礎医学の時間となります。
基礎医学はどういったものを勉強したかというと、
解剖学、神経解剖学、生理学、病理学、臨床学、整形学検査、薬理学、衛生学、医療概論、関係法規等です。
これを2年クールで学びます。
実技はどういったものを勉強したかというと、
カイロプラクティック哲学、動的触診(モーションパルペーション)、関節学、以下はカイロプラクティックのテクニック名です。ディバーシファイド、ターグルリコイル、ガンステッド、トムソン、ピアーズ・スチルワゴン、ローガンベーシック、仙骨後頭骨テクニック(SOT)、アプライドキネシオロジー(AK)
これを3年間で学びます。
3年生時はインターン課程ですので、実際に患者さんを診ることになります。
自分の知り合いであったり、協会に来る外来の患者さんであったり。
さて、そういうカリキュラムであったので、当然働ける時間に制約があります。
夕方5時以降か、土日。
私は指圧や整体、鍼などを複合的に展開している治療院にアルバイトとして働いていたのですが、それでも収入は会社勤め時代の3分の1ぐらいに落ち込みました。
この3年間は本当に貧乏な時代でした。
ただ、このときに一生懸命勉強に打ち込めたのが今となっては幸いだったなと思えるのです。
そんな貧乏で遊びに出られる余裕も無い3年間とその前の会社員時代の3年間の都合6年間に一番良く遊びにいった土地が鎌倉なのです。続きは次回に。[裕]
今日も天気は晴れ。
最高気温は21℃です。
前回からの続きです。
よし、鎌倉に住もう!
と、決めてから当時住んでいた護国寺の近くからの引越しには紆余曲折がありました。
退去時のトラブル、引越し先がなかなか見つからない、など等。
そんな中、今も住んでいる自宅を内覧した時一発で気に入ってしまい、少々家賃は高かったのですがそこに転居することにしました。
その物件は当時築22年ほどのテラスハウス(1階と2階が繋がっている形式)だったのですが気に入った理由は2階から材木座の海とビーチが見えるからでした。
2001年5月に鎌倉に引越しして来た時は家計の全財産がン万円(ン十万円でなく)ですってんてんの状態でした。
そこで、1階のリビングを施術のスペースに使い、その間に開業資金をためる事と鎌倉の地域性を調べることに努力しました。
ありがたいことに、池袋で施術をしていた頃の患者さんが何人も鎌倉へ1時間半以上かけて通ってくれたのです。
そして、グルグル鎌倉中のテナント物件を探し回って、やっと気に入る物件を見つけたのが1年後で今の場所です。
物件の都合上、半年先まで待っていてくれと言われたのですが、その間もそれ以上の物件は無く、2002年11月1日に六地蔵でオープンする運びとなりました。
初日は全く地縁、血縁など何の縁も無くやってきた鎌倉で看板立てて果たしてやってきてくれる人がいるのだろうかと思っていたのですが、うれしいことに材木座の自宅でやっていた頃の方が何人か足をお運びくださいました。
(ありがたいことに今でもお越し頂いています)
この☆7th ANNIVERSARY ! その○☆の4回の記事で天気と気温につれて触れています。
2002年11月1日当時の天気は暖かい今年とは違って雨、最高気温は15℃で冷たい雨が降る1日でした。
今でもその冷たい雨が降る不安な門出とこんな寒い雨の日に足を運んで頂いたといううれしい思いのギャップは鮮明に覚えているのです。
何の縁も無くやってきた鎌倉でしたが、アロハカイロ&フットパラダイスへ足を運んで頂いた方や由比ガ浜で同じ年に開業した仲間たちにも支えられ半年ほどで軌道に乗せることができました。
同じ2002年に由比ガ浜で開業した仲間とは、「Mahana FOR HAIR」「かまくら ふじい」「Second hands そうすけ」「PaPa Noёl」「麻心」など
バーベキューやクリスマスパーティーなど今でも仲良く付き合ってる仲間たちですが、
その一人がある時こう言いました
「俺たちはあの時(2002年)あそこに(六地蔵)に呼ばれたんだね~」
こういう風にして縁というものができる場合もあるようです。[裕]
昨日のお昼は横殴りのすごい雨。午後から少しずつ天気は回復して、夕焼けがとてもきれいでした。
治療院の大きな窓から東の空が見えるのですが、昨日はあまりにきれいで写真を撮ってしまいました。
上の画像は六地蔵交差点から和田塚駅の方面に向けて撮ったもの。
バー バンクがなんともレトロな昭和風の雰囲気を醸し出してます。
そして、この画像はアロハカイロ&フットパラダイスが入っている建物の画像です。
アロハカイロ&フットパラダイスではショップカードにやしをバックにした夕日のイラストを使っていますし、小冊子にも南国の島をバックにした夕日のイラストを使っています。どうやら夕日がとても好きなようです。
ここ六地蔵交差点は由比ガ浜1丁目と2丁目と3丁目が隣接しています。上の画像のバー バンクから和田塚そして海へ続く1本道が3丁目。だから、ベタだけど3丁目の夕日かな。[裕]
湘南国際マラソンという大会があるのをご存知でしょうか?
2007年に始まり今年2008年11月8日で第4回を迎えるマラソン大会です。
フルマラソンのコースは西湘バイパス大磯ICから平塚海岸を経て、江ノ島で折り返し大磯プリンスホテルが終着点です。
この大会に私が出たというのではなく、出たという人の話しです。
こちらのアロハカイロ&フットパラダイスにはアスリート系の方も数多くお越し頂いています。
プロのスキーヤー、社会人チームでサッカーやバスケをされる方、富士スピードウェイで自転車の100キロレースに出てるという方など等。
鎌倉という場所柄、サーフィン、ウインドサーフィン、ヨットなどのマリンスポーツをされる方が圧倒的に多いのですが、最近じわじわと増えてきてるのがマラソン。(ブームのようですしね)
2007年の春に、ある30代の女性を施術していた時に彼女が
「明日、湘南国際マラソンに出るんです!」
私
「へぇ~、じゃあマラソンには良く出るんですか?」
30代女性
「いいえ、今回が初めてで」
私
「じゃあ、練習はしっかりとされたんでしょう?」
30代女性
「いえ、全然 10キロくらいを2回走ったぐらいかな」
私
「・・・大丈夫?」
30代女性
「まぁ、何とかなるでしょう」
そういった出来事を忘れていた2008年の春、湘南国際マラソン大会の前日に同じ方の予約が入ります。
30代女性
「明日、湘南国際マラソンに出るんです」
私
「そういえば、去年も出られたんですよね。いかがでした?」
30代女性
「それが、とっても調子が良くて、完走出来たんです!
前日にカイロを受けていてそれが良かったんじゃないかと思いまして、今日もカイロを受けに来たんですよ」
私
「そうですか」
それまで、カイロを受けた後調子よく走れる、という認識が無かった私はそっけない返事だったと思います。
(カイロを受けた後調子よく酒を飲めるというのは自分の実体験であるのでわかるのですが、走ったことは無かったので・・・)
がしかし、それ以降カイロを受けた翌日走ってみるといつもより調子が良かった、という報告を何人かの方から受けるようになったのです。
そういった雑談をマラソン好きなある50代の男性の方にしたのですが、今年の大会前々日の11月6日(金)の夕方にその方の予約が入ります。
前日の11月7日は臨時休業だったので、わざわざ金曜日の夕方に会社を早引きしてお越し頂いたのです。
続きは次回に。[裕]
さて、前回は大会の前々日に50代の男性がお越し頂いた話でした。
聞けば先月の10月にアロハカイロ&フットパラダイスで施術を受けた後、走ってみたら調子が良かったとのことです。
大会に向けて前々日の金曜日に会社を早引きしてまでお越し頂ける、しかもその理由が好調に走れるから。
それを聞くと私も俄然やる気が出てきます。
カイロプラクティックの施術を受けた後、調子よく走れたとご報告してくれた方々の施術内容には共通点があります。
それは胸郭が硬かったこと。
それで肋間を広げる調整をしたのです。
これをすると呼吸が深くなり、したがって走ってても楽なようです。
アスリート系の方でなくても胸郭を緩める調整をするのですが、どういう人にするかというと眠りが浅い人。
こういう方々も、後日調整の当日は早くに眠くなりぐっすりと熟睡できました、とご報告してくれる方が多いのです。
それにプラスしてその50代の男性には先月ハムストリングス(腿の後ろの筋肉)を緩める調整をしていました。
その方にどう調子が良かったのですか、と訪ねたところ、
足の運びが良かった、とのことです。
これは大腿の筋肉で前部と後部の筋肉の「拮抗」の関係があるかと思い、この時もハムストリングスを十分に緩めました。
どういうことかというと、拮抗の関係とはシーソーのようなものです。
腕で例えると、力こぶを作るポーズ(ポパイがよくやってるアレです)で力こぶが出来るのが上腕二頭筋。
その下にあるのが上腕三頭筋(女性がたるむと気になる二の腕という場所です)
ぐっとひじを曲げてくるときには上腕二頭筋が収縮して、上腕三頭筋が伸長して、ひじが曲がる。
反対に曲げたひじを伸ばすときには上腕三頭筋が収縮して、上腕二頭筋が伸長して、ひじが伸びる。
このシーソーのような関係を拮抗というのです。
大腿も同じ関係にあり、大腿後部のハムストリングス筋群が短縮していると大腿を前に出す時、拮抗の関係からうまく大腿四頭筋が収縮できないのではないか。
これを前回は大腿後部のハムストリングス筋群の短縮を緩めた結果、足の運びが良かった結果につながったのではないか、ということです。
さらにプラスして、上半身の左右への回旋(ひねり)も診ました。
走るということは歩行以上に身体をねじります。
回旋しにくい側を検査して、後ろに大きくひねれるようにする。
こういう調整をいつもとは別に付け加えたのです。
さて、どういう結果が出るものやら、その方のご報告を楽しみに待っているのです。[裕]
新型インフルエンザのワクチンがやっとのことで鎌倉市にも届くようになったのですが、ときすでに遅く学級閉鎖の嵐が吹き荒れやっとこの頃収束に向かいつつあるようです。
こちらアロハカイロ&フットパラダイスには何人も医療機関に従事されてる方が来られているのですが、その方々によるとワクチン接種の順番で多少の混乱があったようです。
当初伝えられたワクチン数より入荷数が少なく、急遽医療機関従事者で摂取を受けられるのはこの人達まで、という線引きもされ・・
摂取された人は-受けられない人もいるのにワクチンを受けたからには新型インフルエンザと戦う立場になったんだ-と意識した人もいるでしょうし、
摂取されなかった人は-自己防衛するしかないのね-と思った方もいるでしょう。
微妙な職場関係ですね。
さて、ここアロハカイロ&フットパラダイスでも新型インフルエンザの話がよく出ます。
ある小さいお子さんがいるお母さんから聞いた話なのですが、お子様が熱を出されてこれはもしや新型インフルエンザかと思い、病院に受診したそうなんですが、そうではなく普通の風邪だったそうです。
その折に、お医者さんから聞いた話が以下のようなものだったそうです。
新型インフルエンザの発症と流行場所にタイムラグがある。
それを時系列に見てゆくと、最初は横浜の中区あたりで、(海外から船に乗ってやってきたんではないか?とのこと)
それが戸塚あたりに南下してきて、鎌倉市内(旧市街で切り通しの中)で流行って、七里ガ浜に抜けていった、とのこと
私がそれを聞いたときお母さんに質問したのは
「朝比奈の峠を越えたのはいつぐらいだったんでしょうね?」
と冗談交じりで話したんですが
そのお母さんはまじめ顔で
「本当にお医者さんが言ってたんです」
確かに感染症の伝播にはタイムラグがあるものなのでそうなんだろうと思うのですが、その折に出たのが、
私
「グーグルマップみたいなのがあって、その上に桜前線だかもみじ前線みたいな前線を表記して、花粉情報のように少ない~非常に多いまで色分けされているような・・・そんな情報発信があったら面白いですね」
その女性
「そうですよね。それがあると、子供に対する注意が行き届きますよね」
というような話になったのです。
で、あるときテレビを見ているとさすがグーグル、そういう情報を持っているんですね。
テレビで紹介されていたのは地域別のものではないのですが、時系列で流行の度合いを測れる情報を持っているとのこと。
どういうことかというと、日本全国で「インフルエンザ」というキーワードで検索される数を時系列なデータとして持っている。
それが、公的な機関が発表した流行データとほぼ一致するらしい。
ホームページをお持ちでGoogle Analyticsを利用されている方はお分かりだと思うのですが、どの地域(国)からアクセスされているか、という情報も調べることが出来るのです。
ということは、私が冗談交じりに話した新型インフルエンザ流行前線のようなものも作れると思うのですが、
作ってくれないかな?[裕]
昨日は定休日
笛田から長谷の辺りをぶらりと散策してきました
小春日和で日差しが柔らかな午後
冬の日差しは角度が低く、ちょうど色づいた銀杏の
木の葉の立体感が浮き出る様に足を止めました
中では大勢の鳥の鳴き声
椋鳥なのかな
葉山あたりにしかないと思っていた無人野菜売り場
常盤にもあったりします
料金は左上の箱に入れるシステム
う~ん のどかな風景だ
場所は変わって長谷
長谷駅の手前(鎌倉側)から御霊神社方面の風景
単線の江ノ電はここで行きかいます
やはり冬のやわらかい日差しが線路内に差し込んで
いたので写真を撮ったのですが上手く撮れていない
前から不思議だったのですが、坂ノ下や長谷辺りの
古い家にこの札が張ってあるのです
ダイブツ 藤沢と書いてあるけれどここは鎌倉の長谷だし・・・
これも都内では見かけなくなった木製の電柱
吉屋信子記念館のそばにある電柱です
と、ここでも発見!電柱にやはり同じような札が オオマチ 藤沢 となってる?
昔の東京電力の担当部署を張り出しているんだろうか?
鎌倉には住んでみるとガイドブックには載っていないようなレトロな物や変わった風景に
出会うことが多々あります
これからも時々そんな風景を載せてゆきます[裕]
☆湘南国際マラソンその2☆では大会の前々日に50代の男性をどういう目的でどう施術したか、という話でした。
さて、その50代の男性が今回もご予約を頂き、カイロプラクティックの調整をさせて頂きました。
ご本人によるとフルマラソンで痛んだ後遺症の箇所を見て頂きたい旨。
入念に痛めた足を調整させて頂いたのです。
聞けば今回の大会も完走とのこと。
素晴らしい!何よりです。
お世辞もあるのかもしれませんが、調子よく走れましたとのご報告。
こういった仕事をしていると、物販でもなし、飲食でもなし、建設業でもなし、仕事の結果が物理的な形として見えにくいものですから、こういう言葉が何よりうれしいのです。
さて、タイムをお聞きすると、なんと4時間21分!!
すごい!すごすぎる!!
私なんぞは若宮大路の交差点の信号が点滅しだして100メートルも走るとぜいぜい言うのに。
完走の上、そのタイムなんて。
でも、ご本人に言わせると目標タイムには及ばなかったんだそうです。
50歳代で走るのを始めてそんな域に達するなんてすごいです。
少し運動でもしてみようかな~[裕]
アロハカイロ&フットパラダイスではカイロプラクティックの施術中、患者さんといろんなことを話します。
おおよその施術時間は45分です。
それだけの時間があるのですから、もう何十回と繰り返し来られてる方とは多岐にわたる話が出るのです。
例えば今日の例では、ヘルニアで坐骨神経領域に痛みのある方とは整形外科で行った検査法、レントゲンの角度(というのもこの方は六地蔵にオープンする前よりお越しいただいている方で、すべり症があったからです)
整形外科テストの話や年末の今に時期は忙しいのか等。
心臓にペースメーカーを入れている60代の男性とはお酒の話!
晩酌に何を飲むか、手広のマインマートで3リットル入りのジャックダニエルを売っているのを発見したとか・・・
環境NGOで国際的に活躍されている男性とは英語の話。
英語をどうやって習得したか、それとアメリカの話などです。
その方は今ではアメリカにそんなに行きたいとは思わないけど、ニューヨークには行ってみたいな、との事。
そこで思い出したのが、アメリカ本土にたった1度だけ行った旅行の事でした。
(ハワイには7、8回は行っているのですが)
アメリカに行ったのは今をさかのぼること20年ほど前。
プラザ合意で円が急激に高くなり、海外旅行が身近になりつつあったときです。
それまでは学生の分際で海外旅行に行けるとは、と思ったものです。
卒業旅行に長期で海外旅行に行こうと思ったのは、アルバイト先の先輩が社会人になったら長期に海外に旅行できる機会はめったに無いから絶対に行って来い、との強い勧めを頂いたからです。
(今でもこのアドバイスを頂けた事に本当に感謝してます)
行った時期は試験も終わり、卒論も提出し終わった確か1月下旬で、33~35日間だったように思います。
旅行前に準備したのはサンフランシスコin ニューヨークoutの航空券と初日のみの宿泊予約のバウチャー、それに1ヶ月間全米どこにもいけるグレイハウンドバス(長距離バス)の周遊券のみ。
あとは「地球の歩き方」を手にし、当時流行っていたバックパッカースタイルのきままな一人旅でした。
旅行したルートはサンフランシスコ(アメフトのフォティーナイナーズが優勝した翌日に到着)→ロサンゼルス→ラスベガス(ここで北に行くか南にいくか迷ったのですが、シカゴから来た旅行者が空港が凍結してるとの情報に暖かいルートを選択)
→グランドキャニオン→フェニックス→エルパソ(メキシコとの国境境の町)→ヒューストン→ニューオーリンズ
(マルティグラという祭りが有名でその祭りに向け町中が盛り上がってた)→デイトナビーチ→オーランド→ワシントンD.C.→ニューヨーク!
ざっとルートをたどるとそれなりの大きな町を通っているのですが、なぜかマンハッタンは別格です。
なんともいえないワクワク感と高揚感がある。
それを先程の環境NGOで活躍されている男性に話すと彼も同意見で、ただその町にいるだけでワクワク感があるとの事です。
この高揚感はなんだろう?ということで次回に。[裕]
高揚感の要因はいくつもあるでしょうが、私がニューヨ-クに行った時を振り返れば「音」が鮮明な記憶として甦ります。
マンハッタンの構造は南北に細長く道路の道幅以上に高い高層ビル群が連なっているために音が反響しやすいのです。
感覚としては音が立体的に反響してる。
そして、色んな音が錯綜してます。 パトカーのサイレン、工事の音、雑踏、地下鉄の列車が通る音が地上に抜ける、クラクション、ひずめの音!(馬上警官)など等。
ストリートとアヴェニューの交差点では違う道から反響し届いてきた音が交差したりする。
とそこへ意外な説が。
「生物と無生物のあいだ」(アロハカイロ&フットパラダイスのHPのコラム☆動的平衡その1その2その3☆でも取り上げさせて頂いてます)
の著者で分子生物学者の福岡伸一先生(80年代にニューヨークのロックフェラー大学の研究員だった時期がある)
と前回の話に出た環境NGOで国際的に活躍されている男性がお話しする機会があったそうですが、その折にやはり2人の間でマンハッタンの高揚感について話が出たそうです。
福岡先生の説によると、マンハッタンは固い岩盤の上にある。
岩盤にはそれこそ無数の高層ビルの鉄骨が突き刺ささってる。
色んな生活音-オフィスでは電話の音やコピー機の音、生活の部屋では洗濯機や例えば赤ん坊の泣き声、レストランでは厨房の様々な音やBGMの音- その他もろもろの音が鉄骨を伝い岩盤へと届く。
岩盤ではその様々な音が共鳴を起こす。
それが地上へと伝わり人々を高揚感へと導く。
それを聴いた瞬間なんと面白い想像か!と鳥肌が立ちました。
例えば「マトリックス」のようなハリウッド映画を想像してみて、
空中高くからビルの外側が俯瞰できる。
先程のようなオフィスやアパートメントやレストランの音が鉄骨を伝わるシーンがある。
その音の伝達シーンの映像が地中深くもぐってゆき、岩盤の共鳴シーン。
そして、地上への伝播。
こんなシーンを想像するだけでもワクワクしてしまいませんか?
マンハッタンの高揚感について話してた時間はほんの5分ほどなんですが、とてもワクワク感を体験できた時間でした。
そういった日はなんか1日得をした気分なのです。[裕]
年の瀬という時期になってきました。
今週末はアロハカイロ&フットパラダイスも大変忙しく、なかなかブログを更新できず、です。
今回は何年か前のこの時期と同じ年末の材木座の風景をいくつか。
これは材木座海岸入り口。
光の具合がよく、思わず撮ってしまいました。
これはバニー近くの道を歩いていると、住宅の隙間からひょっこりと海が見えたりします。
そして、大晦日の材木座海岸。
真ん中に見えているのは浜辺で年越しと初日の出(でも材木座海岸からは海から昇る日の出は見えません)を見る人向けの焚き火用材木
近づいてみると意外と大きい。
1月2日に坂ノ下海岸では舟おろしという行事があります。
年の初めに大漁旗をはためかせ海に出るそうです。
これは☆鎌倉美味いもの自慢☆でもご紹介したシラス漁のもんざ丸。
大漁旗がとてもきれいです。[裕]
岡本太郎の芸術は爆発だ!のようなタイトルですが、今回は病院の話です。
それは東京の上野で会社員をしていた12~3年前のことです。
夜の7時過ぎに会社あてに西日暮里の自宅から電話がかかってきました。
妻からの電話です。
用件は急に顔の左半分が腫れてしびれてきた、口も上手く開かないどうしよう、とのことです。
私はあわてて家に帰り、妻の顔を見たのですが、本当にお岩さんのように腫れてきてる。
しかも、口が開きにくいのか、ちゃんとしゃべれていないのです。
しびれの感覚は歯医者で麻酔を打たれた時のような麻痺した感覚との事。
夜の8時をまわっていたのですが、近くの小さな総合病院に夜間外来で診てもらうことになったのです。
そこで出てきた医師(当時の私と同年代で30歳を少し超えたぐらいの年齢)は妻をベットの仰向けに寝かせ、おなかの触診を始めました。
そして、おもむろに言ったせりふが、
「あなたは何を目的に来たのかね。」
私はかなりむっとしたんですが、
「顔が麻痺してるということは脳に問題があるのではと心配になったので急遽診察をお願いしに来たのです。」
と、キレるのを我慢しながら答えたのです。
すると医師は
「今日は設備がもう動かないから、明日来て検査でもしたらどうですか」
とそっけなく追い返されたのです。
今もって患者の主訴が顔がしびれてると、言ってるのに腹部の触診しかしなかったのはなぜなのかわからないのですが、当時の私は医学的知識が全く無く、そんなものかと思ったものです。
さて、ここまでは私が病院に行って不愉快な思いをさせられたほんの一例です。
最近は病院経営も厳しいのか対応の良い医師が増え、こんな思いをすることも減ってきたのですが、昔は偉そうにふんぞり返っている医師が本当に多かったと思います。
先日、こちらにお越しの女性の方からお聞きした話があります。
ご主人がのどの調子がよろしくない。
風邪でもないのにせきが止まらず、ヒリヒリする感じが続くとの事。
そこで、東京の有名な耳鼻咽喉科の病院で診察を受けて来たそうです。
丁寧に話を聞いてくれ、長い時間をとってファイバースコープの内視鏡で診察をしてくれ、その後の検査(たぶんCTスキャン)の結果について懇切丁寧に説明してくれたそうです。
その病院ではスタッフの対応も良いとの事です。
私が聞いて何より感心したのはその病院のポリシーが
-医療はサービスである-
という考えに基づかれていることでした。
以前、アロハカイロ&フットパラダイスのコラム☆ホメオスターシス(恒常性)その1その2その3☆で身体を一定に保つシステムとそれが崩れたとき(病気などで)修復してゆくシステムをご紹介しました。
その折に私達が勉強をしたアメリカの生理学の本の序説から引用をしました。
その内容とは
-最良の医師とは生体の本来の治癒力を最も良く利用し、かつ効率的に補佐する者をいう。生体の持つ本来の治癒力とは生体の持つホメオスターシスを意味する。-
この授業の結びで生理学の先生が言っていたことが印象的です。
「最良の医師とは------補佐するものをいう、ということは補佐するんだからこれはもうサービス業なんですね。」
ちなみに今回話しに出た東京の有名な病院とは「医療法人財団 神尾記念病院」です。http://www.kamio.org/
ご興味のある方はこの病院のHPの基本理念をご覧下さい。
私も今のところ至って健康ですが、耳鼻咽喉科にお世話になるようなことがあるならばここへ行きたいと思います。
[裕]
師走もこの時期になると、なにもしてなくとも気忙しいものです。
ここアロハカイロ&フットパラダイスにお越しの方にお帰りの際
「良いお年を!」
と挨拶してお見送りするのですが、すぐその後に下馬の交差点でばったり会ったりして、
「いや、またお会いしましたね。では、良いお年を!」
な~んてことがある時期となりました。
これはそんな時期の何年か前の材木座海岸の風景です。
材木座海岸も小坪に近い側には和賀江島があります。
この島は貞永元年(1232)に築造されたわが国に現存する最古の築港遺跡だそうで、当時の南宋と交易のあった可能性があるそうです。
その折に運び込まれた青磁器の破片が今でも拾えるようです。
実際私も拾ったばかりの青磁器の破片を見せてもらったことがあります。もしかしたらこの人もそれを拾っているのかな?
冬の晴れて空気の澄んだ日は稲村ガ崎越しに富士山が見えます。
ただし、豆腐川(かなり逗子寄り)近くまで行かないと見えません。
そしてこれはズーム。
でもこの程度の大きさ。
以前から不思議だったのですが、ここから稲村ガ崎までは直線距離で2kmほど。
でも、稲村ガ崎から見える富士山の大きさが全然違うんです。
どうだ!この迫力。
この画像はこちらにお越し頂いているお客さんから頂いた物なんですが、迫力が違う。
(まあ、この方はプロ並で撮影の技術も違うんですが・・・)
冬の晴れた日の朝に鎌倉にいるならばこんな富士山を見る散歩もおすすめです。[裕]
年の瀬も押し迫り今年を振り返る時期となりました。
今回は私が最近感じていることを少々。
あることを感じさせられるようになったきっかけは最近定期的にご来院頂くようになった3人の女性の言葉です。
1人目は7月より港南区から来られている50代の女性です。
この方は首から右の肩甲骨あたりに痛みがあって全身疲労がひどい状態でした。
7日~10日のペースでご来院され調整を進めていきました。
その折お聞きしたせりふが
「最近、体調が良くなってやっとスーパーで1.5リットルのペットボトルを買えるようになりました。」
つまり、全身疲労がひどく今までそんな重いものを買って持って帰れなかった、ということです。
2人目は9月より鎌倉の材木座からご来院されている60代の女性です。
この方の主訴は五十肩と腰の冷え感。
腕の可動範囲は手を体の前にまっすぐ伸ばした角度を0度とし、天空を指差すように上に挙げた角度を90度とすると
40度ぐらいまでしか挙げられない。それに、帯を結ぶように手を背中に回す事も出来ない状態でした。
この方はそれからきっちり2週間おきというペースを守ってご来院され、調整を進めました。
そのときにおっしゃって頂いたせりふが
「ここへ来る度にどんどん体が良い方へ向かってゆく。」
腰の冷え感についてはこちらからその後いかがですか、と聞くまで忘れていた(冷えを自覚していなかったということ)との事です。
3人目は11月より逗子市からご来院されている30代の女性です。
この方は肩こりとひどい頭痛、それに足の冷え感が主な症状です。
以前から東京や逗子でカイロプラクティックを受けていたそうなのですが、ご縁があってここアロハカイロ&フットパラダイスに7日~10日のペースでご来院され調整を進めていきました。
2回目にご来院頂いた時に聞いたせりふが
「3日間も頭痛が無いなんて!素晴らしい。」
聞けば、どうやら他で施術を受けてもすぐに頭痛が戻ってきていて、3日間も頭痛が無い状態は無かったとのことです。
その後、回数を進めるうちに
「12日間も体調がよく、さわやかにすごせました。」
さて、このお三方は今でも同じペースでご来院いただいているのですが、3人の方の経過についての説明は自慢話をしたいのではありません。
冒頭で私が触れたあることを感じるようになったとは何か、ということをご説明したいからなのです。
ここ鎌倉の六地蔵でオープンして7年とちょっと。
今まで私は自分が何を売っているのか、という疑問に対しては「カイロプラクティック」という「技術」を売っている。
その対価として施術料を患者さんから頂いていると思っていたのです。
もちろん、それもありです。
が、しかし、自発的にご自分のペースで定期的にご予約を入れて頂き、
(アロハカイロ&フットパラダイスでは予約についてこちらから強要したり、強く勧めたりする事は一切していません)
しかも、こういう風に体調が良くなりました、とご報告を入れてくれる方々を見るにつけ、自分が売っているのは
「カイロプラクティック」という「技術」だけではなさそうだな、と感じるようになったのです。
では、何を売っているのか。
当のご本人もお気づきでないかもしれませんが、「体験」を売っているんだな、というのが最近の実感です。
「体験」とは何かといわれると、これだ!とは言えないのですが、
例えば、五十肩の方がもう何ヵ月も腕が挙がらない状態で、洗濯物を干すのが辛かった。
それがある時、なんとか干せる角度まで腕が挙がってる!というような「体験」
先程も出た話で、いつも疲れていてスーパーで1.5リットルのペットボトルを買って帰るのもおっくうだったのに、今では買って帰ろうと思えるほど元気になっている自分を発見した「体験」
髪を後ろで普通に結ぶと頭痛が起きてしょうがなかったのが、普通に結んでもなんとも無かった自分になってる「体験」
さあ、ここまで読み進めて頂いてご自分の体調を思い浮かべてみてください。
いつも気になっている体調不良の症状がありますか?頭痛とか、腰痛とか、めまいなどなど。
今の自分に○○が無かったなら(あるいは気にならないぐらい軽かったら)どうだろう?
実際、臨床の場で体調が改善してゆく患者さんを見ていると、何らかの変化が現れます。
服装が明るい色になったり、積極的に外に出れるようになったり、人間関係が良くなったり(対人関係というのも案外体調に左右されるのです)
そういう好循環をみていると、やはり「体験」も売っているんではないかと最近思うのです。
そういう意味で来年はこの「体験」というキーワードをもう少し深く掘り下げていこうかと思ってます。
さて、これで今年のコラムは終わりです。
本年もツラツラと色々書き散らしたコラムにお付き合い頂きましてありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。[裕]