随分と長いプロフィール

このブログの過去4回シリーズでなぜカイロプラクティックをしているのか、なぜ鎌倉の由比ガ浜でオフィスを構えているのか、を以前の記事から転載します。

随分長いのでご興味のある方だけお読み下さい。

=2009.11.01=
☆7th ANNIVERSARY !☆

 おかげ様で2009年11月1日でここ鎌倉の由比ガ浜に開業して7周年となりました。
今日の天気は晴れ。最高気温は26℃です。
(やはり年々温暖化してるな)
これを機に身の上話などを少々・・・

 ここアロハカイロ&フットパラダイスで施術をしているとお越しになられた方と様々な話をします。
一施術にかかる時間は概ね45分~50分。
それだけの時間があるわけですから、本当に様々な話をするのです。
健康上の話はもちろん、仕事の話、育児の話、グルメの話、地域の話、趣味の話、恋愛の話、別離の話・・・
そういった中で、健康関連以外でよく受ける質問が
どうしてこのお仕事をされるようになったのですか?
どうしてここで開業されたんですか?
お二人はご夫婦なんですか?
です。

 私がカイロプラクティックを志したきっかけは28歳の時の自身の事故体験です。
まだ、外資系保険会社の社員だった頃、8月のある休日にホンダのSteedというバイクに乗って当時住んでたコンクリートの建物だらけの街から実家の近くの海へ出かけていたのです。
その帰りに日本で最大規模の花火大会があるのを思い出し、寄り道をしたんですがその折に車と出会いがしらの衝突をして重症に。

私の怪我は右足のふくらはぎが20センチほど裂け、右足首骨折、両肘骨折、無事なのは左足のみで
車椅子生活1ヶ月、松葉杖生活2ヶ月。都合3回手術をしました。
それでも私のほうが怪我は軽く、後ろに乗っていた彼女は右足が開放骨折。
砕けた骨が足から飛び出てるという状態です。
そして、装外固定(足が金属の串で左右に貫通している状態で固定する)で半年間はまともに歩けない状態でした。

 さて、退院も間近な頃から後遺症に悩まされるようになります。
夜、目をつぶって眠ろうとするとまぶたの裏に何かの残像がずーっとちらつく。めまい、吐き気、今まで無かった肩こりetc
後遺症を訴えて病院で検査をしてもらったのですが、MRI(当時導入されてる病院は少なく先端の機器で調べてもらったのですが)の検査結果を見ても異常なし。

当時の脳外科のドクターは診療中、私の顔を一度も見ずに、MRIのフィルムと会話するかのように言ったのが
「頚椎のズレは認められるものの、圧迫までは到っていないから、あなたの症状は自律神経失調症でしょう」

その後、首をつっても(牽引のことです)薬を飲んでも一向に良くならない。
そんな思いをしている患者さんは多いんですね。
入院している時に仲良くなった患者さんの一人が
「カイロいいよ-」
(やっと出てきました)続きは次回に。

=2009.11.03=
☆7th ANNIVERSARY ! その2☆

 今日の天気も晴れ。しかし、木枯らし1号の風が吹き最高気温は14℃。たった二日で12℃の違いです。
季節的には9月中旬の気候から12月上旬の気候変動幅です。体が辛いという人が多いんじゃないのかな。

 さて、前回から話は続きます。
私が苦しんでいた後遺症にカイロがいいよと患者仲間が薦めてくれ、当時住んでいた街にあるカイロプラクティックの治療院の門をたたきます。
そこの治療院の入り口にはカイロプラクティックの学校の卒業時の記念写真が飾ってありました。
(それが印象に残っていたのか私たちの治療院でも解剖実習時の写真を飾っています)
先生は当時30歳代後半ぐらいだったかな。
一通りの問診を受け、施術を受けることに。

先生
「ここがすっごく曲がってるよ。病院で指摘を受けなかった?」
 その先生が指摘したのは中部胸椎(肩甲骨の間ぐらい)のズレ、今でも年に何回かつらくなるところなのです。
事故当時、私はバイクから吹っ飛ばされ、お城のお堀のような石垣に背中から叩きつけられて打撲した箇所なんです。

施術の方法はトムソンテーブルというもので、ベットの一部が瞬間的に落ちる機械を使ったものです。
それで、骨盤、胸椎、頚椎と調整してくれたのですが、これがとても具合がいい。
あれだけ訴えて、検査してもらって、長い間首をつったり(牽引です)薬を飲んだりしたのに一向に改善しなかったものがものの30分ほどの施術で劇的に改善した、これは驚きでした。

 そこの治療院には定期的にお世話になっていたのですが、1年後に東京に転勤となり、また治療院探しが始まります。
あちこちの治療院を巡り歩いていた時に、灯台下暗しだったのですが、自宅近くにあった西日暮里の一軒の治療院に飛び込んだのですが、ここがとても良かったのです。

当時の私も、よほど変わった患者だったろうと思うのですが、定期的に施術を受けるたびに先生に技術的な質問をしたり、医学的な知識が一切無いのにカイロプラクティックや他の手技関連の本を借りて帰ったりしていたのです。

 そして、一大決心をして
よし、カイロプラクティックをやろう!
と、その先生が所属する協会パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会の学校へ入学したのです。続きは次回に。

=2009.11.05=
☆7th ANNIVERSARY ! その3☆

 今日も天気は晴れ。
最高気温は22℃です。

 カイロプラクティックの専門学校の就学期間は3年間でした。
授業のある日は月曜から金曜日までで、時間は朝の9:30から夕方4:30まで
夏休みなんかもあって、全日制の中学校か高校並みのカリキュラムです。
午前中が実技の時間で、午後が基礎医学の時間となります。

 基礎医学はどういったものを勉強したかというと、
解剖学、神経解剖学、生理学、病理学、臨床学、整形学検査、薬理学、衛生学、医療概論、関係法規等です。
これを2年クールで学びます。

 実技はどういったものを勉強したかというと、
カイロプラクティック哲学、動的触診(モーションパルペーション)、関節学、以下はカイロプラクティックのテクニック名です。ディバーシファイド、ターグルリコイル、ガンステッド、トムソン、ピアーズ・スチルワゴン、ローガンベーシック、仙骨後頭骨テクニック(SOT)、アプライドキネシオロジー(AK)
これを3年間で学びます。
3年生時はインターン課程ですので、実際に患者さんを診ることになります。
自分の知り合いであったり、協会に来る外来の患者さんであったり。

 さて、そういうカリキュラムであったので、当然働ける時間に制約があります。
夕方5時以降か、土日。
私は指圧や整体、鍼などを複合的に展開している治療院にアルバイトとして働いていたのですが、それでも収入は会社勤め時代の3分の1ぐらいに落ち込みました。
この3年間は本当に貧乏な時代でした。
ただ、このときに一生懸命勉強に打ち込めたのが今となっては幸いだったなと思えるのです。

 そんな貧乏で遊びに出られる余裕も無い3年間とその前の会社員時代の3年間の都合6年間に一番良く遊びにいった土地が鎌倉なのです。続きは次回に。

=2009.11.08=
☆7th ANNIVERSARY ! その4☆

 今日も天気は晴れ。
最高気温は21℃です。
 
前回からの続きです。
よし、鎌倉に住もう!
と、決めてから当時住んでいた護国寺の近くからの引越しには紆余曲折がありました。
退去時のトラブル、引越し先がなかなか見つからない、など等。
そんな中、今も住んでいる自宅を内覧した時一発で気に入ってしまい、少々家賃は高かったのですがそこに転居することにしました。

その物件は当時築22年ほどのテラスハウス(1階と2階が繋がっている形式)だったのですが気に入った理由は2階から材木座の海とビーチが見えるからでした。

 2001年5月に鎌倉に引越しして来た時は家計の全財産がン万円(ン十万円でなく)ですってんてんの状態でした。
そこで、1階のリビングを施術のスペースに使い、その間に開業資金をためる事と鎌倉の地域性を調べることに努力しました。
ありがたいことに、池袋で施術をしていた頃の患者さんが何人も鎌倉へ1時間半以上かけて通ってくれたのです。

 そして、グルグル鎌倉中のテナント物件を探し回って、やっと気に入る物件を見つけたのが1年後で今の場所です。
物件の都合上、半年先まで待っていてくれと言われたのですが、その間もそれ以上の物件は無く、2002年11月1日に六地蔵でオープンする運びとなりました。

 初日は全く地縁、血縁など何の縁も無くやってきた鎌倉で看板立てて果たしてやってきてくれる人がいるのだろうかと思っていたのですが、うれしいことに材木座の自宅でやっていた頃の方が何人か足をお運びくださいました。
(ありがたいことに今でもお越し頂いています)

 この☆7th ANNIVERSARY ! その○☆の4回の記事で天気と気温につれて触れています。
2002年11月1日当時の天気は暖かい今年とは違って雨、最高気温は15℃で冷たい雨が降る1日でした。
今でもその冷たい雨が降る不安な門出とこんな寒い雨の日に足を運んで頂いたといううれしい思いのギャップは鮮明に覚えているのです。

 何の縁も無くやってきた鎌倉でしたが、アロハカイロ&フットパラダイスへ足を運んで頂いた方や由比ガ浜で同じ年に開業した仲間たちにも支えられ半年ほどで軌道に乗せることができました。
同じ2002年に由比ガ浜で開業した仲間とは、「Mahana FOR HAIR」「かまくら ふじい」「Second hands そうすけ」「PaPa Noёl」「麻心」など

 バーベキューやクリスマスパーティーなど今でも仲良く付き合ってる仲間たちですが、
その一人がある時こう言いました
「俺たちはあの時(2002年)あそこに(六地蔵)に呼ばれたんだね~」
こういう風にして縁というものができる場合もあるようです。


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