最近ご来院頂いた方にお渡しする私のプロフィールの最後は「歴史小説とバーボンをこよなく愛しています」で締めくくられています。
このプロフィールの通り、毎晩浴びるように酒を飲み、2~3日に1冊のペースで本を読んでいます。読む本のジャンルは医学・健康分野からビジネス書等も読むのですが、1番多いのは歴史物と小説。なので歴史小説が1番数多く呼んでいる事になります。
最近のお気に入り小説家は「北条早雲の軍配者」の富樫倫太郎と「下町ロケット」の池井戸潤。
池井戸潤はドラマ「半沢直樹」でずいぶんブレイクしましたね。池井戸潤の小説の解説でハードボイルド小説の大沢在昌が以前から注目していたこと、小説の構成力等を賞賛していました。
その中で大変興味ある指摘がありました。要約するとこうです。
複数の人物とシーンを同時に進行させてクライマックスに持っていく、という手法を得意としている小説家は歴史物にたとえると「歴史小説」を描くタイプで、一人の人物を深く掘り下げて描く手法を得意としている小説家は歴史物にたとえると「剣豪小説」を描くタイプで、池井戸潤は前者のタイプでこれからも面白い作品を世に出すことだろう。
この書評を読んだとき、自分が好きな小説家のタイプは―プロットがしっかりしていて、複数の登場人物が複数のシーンで同時並行してクライマックスを迎える―ものなのかと今更ながら気づかされたのです。
先程のタイプ分類で歴史小説の雄が「坂ノ下の雲」の司馬遼太郎で、剣豪小説の雄が「剣客商売」の池波正太郎でしょう。
さて、司馬遼太郎を私がどれだけ読んでいるかと言うと、長編小説はほぼ全て。その著作量がどれぐらいかというと、これぐらい→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E#.E9.95.B7.E7.B7.A8.E4.BD.9C.E5.93.81.E4.B8.80.E8.A6.A7
講演・エッセイ・対談集もほぼ全て。「街道をゆく」シリーズが8割がた残るのみです。
で、今回以前から一度は行ってみたかった司馬遼太郎記念館に行ってきました。場所は近鉄河内小阪駅か八戸ノ里駅から徒歩10分ほど。司馬遼太郎のエッセイにも出てくる八戸ノ里駅周辺を散策しながら行きたかったのですが、当日JRで事故の関係で1時間20分も足止めされて4時を回っていたので河内小阪駅から歩くことに。
これは実際の書斎。
「街道をゆく―濃尾参州記」の執筆中に急逝され、その時のまま保存されているそうです。
これはパンフレットの抜粋で展示室の大書架
高さ11メートルの壁面一杯に2万冊の蔵書が並べられているそうです。実際の蔵書はその3倍の6万冊だそうです。
司馬遼太郎は1冊の本であれば、15分ほどで読めたそうです。速読ではなく、フォトリーディング(開いたページを画像として記憶してしまう)を中学生の頃からしていたようです。(だからこれほどの蔵書に眼を通せたのでしょう)
一人の主人公を描くとき(竜馬がゆくで有名なエピソードですが司馬遼太郎が参考にするために竜馬関連の書籍が買い取られて神田の古本屋街から消えてなくなってしまった)数多くの資料を渉猟し、人物に立体像を与え、俯瞰的にその時代を描き出す。こういう手法の物理的証拠としての圧倒的蔵書量が感じられる展示室です。
さて、司馬遼太郎のペンネームの由来は今回のタイトルの中国の歴史家―司馬遷に遠く及ばず―
私が最も好きな小説家の一人です。
ある朝、妻が私に向かってこう言います。 「昨日なんか寝言言ってたよ。でもそれが変わっていてね、なにか朗読しているような感じなの。」
そうです。
その夜は夢の中で司馬遼太郎の小説を朗読していたのです。