厚生労働省かなにかの広報記事にでも出てそうななんとも大げさなタイトルなんですが、今回はそういう大きな組織とは対極にある職場をどう思うかについての話です。
このことについて思い至ったきっかけは以前のコラムでふれた沖縄のガイドの方の習慣にあります。
そのガイドの方はトレッキングコースツアーでヤンバルの森に入る時、合掌し軽く一礼の後森へと分け入ります。
森から出るときも同様に、振り返り一礼しその場を後にします。
彼によれば宗教心でも信仰心でもなく、20年近く森のガイドの仕事をしているうちに自然とそういう習慣がついたとの事です。
そのとき私が思ったのは、職場を愛するというのは良い事だな~という事です。
ガイドの方に言わせればそこは職場ではなくて大切に残された自然の場をほんの少しの間立ち寄らさせてもらっているだけ、と言うことになるかもしれません。
が、しかし、そのときの私には、超一流のスポーツ選手が試合場に入る瞬間に礼をして入り、礼をして立ち去る・・・あの時の様なイメージを持ったのです。
さて、職場というと何を思い浮かべるでしょうか?
会社員として働く多くの方は、働く場所の空間よりもそこで同時期に働く複数の人々のコミュニティをイメージするほうが多いんではないでしょうか?(空間より人々の顔を思い浮かべる)
今回私が言っている職場とは、空間そのものやそこにある物を指しています。
具体的にはアロハカイロではベッドであったり、器具や机や部屋そのものです。
以前は1日のスタートはそれらの掃除で始まっていました。その後部屋の中だけでなく外の廊下、外階段、交差点の歩道等の掃除をしていたのです。
しかし、今は治療院の部屋に入る時に一礼して入るのを1日のスタートとしています。
そうすることで、部屋の中のものを大切に扱い、それがひいてはその日の1回1回の自分の施術を大切にすることに繋がるのではないか--などと最近思っているのです。