大磯散歩

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兜門

『湘南』という地域はどこら辺なんだろう?という疑問をずっと持っていました。
関西ローカルボーイだった私は70後半~80年代半ばに中学―高校生だったので、パシフィックホテルや岩倉瑞江さんのカフェ「ブレッド&バター」のイメージがあり、茅ヶ崎がその中心地なのかな、などと思っていたのです。
先日、『湘南』という言葉発祥の地大磯に行ってきました。


大磯駅に着いてからまず向かったのは、旧吉田茂邸です。

旧吉田茂邸の概略は以下の通りです。

旧吉田茂邸は戦後の内閣総理大臣を務めた吉田茂(1878-1967) が暮らしていた邸宅です。もとは明治17年(1884) に吉田茂の養父・吉田健三が土地を購入し、別荘を建てたのがはじまりです。養父亡きあと吉田茂が邸宅を引き継ぎました。昭和20 年(1945) より大磯の邸宅を本邸とし、晩年を過ごしました。

本施設は吉田茂が暮らした当時の邸宅を復原したものです。昭和22 年頃建てられた応接間棟、および昭和30 年代に近代数寄屋建築で有名な吉田五十八が設計した新館をメインに再建しています。
旧吉田茂邸サイトから引用 http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/

上の画像はその旧吉田茂邸の「兜門」別名「講和条約門」
サンフランシスコ講和条約の全権大使として調印したからなんですね。

吉田茂邸の建物

この建物が火災後に再建された建物の遠景です。

食堂

1階の食堂(ローズルーム)
4時から会議が始まるので、順路に関わらず先に食堂からご覧下さいと案内されました。
後から館内スタッフから教えてもらったのですが、『大磯ワイン』の記者発表がされたそうです。

楓の間

1階の楓の間
応接間として使われていたそうです。
左に見えるのが大きな大理石?の暖炉です。

書斎

2階の私的書斎
掘りごたつがあり、そのわきに書斎があります。
官邸直通の黒電話が置かれていたそうです。

書斎からの眺め

書斎から見た外の眺めです。
小屋の先に見えているのが大磯海岸の海です。
右にはよく整備された竹林があります。

居間

2階の新館の居間です。
天板の間に金箔が貼られているので、金の間とも呼ばれていたそうです。
この部屋は迎賓にも使われていたそうで、海外からの賓客もここでもてなされたそうです。

寝室

2階の新館の寝室で、先程の居間とは部屋が続いています。
天井は銀箔が貼られているので、銀の間とも呼ばれたそうです。
この二間からは10月から4月ごろまで富士山が近くに眺められるそうです。
(当日は雲がかかっていたため残念ながら見えませんでした)

吉田茂像

この旧吉田茂邸にはサイトによると大磯駅から2kmで徒歩30分と案内されていたので、歩いてゆくことにしたのですが、途中国道1号線を大きく迂回して西湘バイパス沿いの太平洋自転車道という所を延々と歩かされます。
本当にこの道で良いのか不安にさせられますが、回り道をしながらもたどり着けます。

この吉田茂像はそんな西湘バイパスのすぐそばに、サンフランシスコに向けて建てられています。

バラ園

吉田茂さんはバラがお好きだったそうで、大きなバラ園をお持ちだったそうです。
大平首相とカーター大統領の会談がここで行われたそうで、大きなバラ園を取り壊して会談場を設営したそうです。
この画像のバラは一部を移植しそれを再現したものだそうです。

杉本

帰路の途中大磯町役場近くのお食事処に立ち寄ります。
「鳥料理 杉本」
今回大磯訪問の1番の目的はこのお店の鳥定食を食べることでした。

このお店のことを知ったきっかけは、鎌倉のアロハカイロ&フットパラダイスに大磯から月に1度ご来院してくれるご夫婦がいらっしゃいます。
そのご主人が自信たっぷりに勧めてくれたのがこのお店の「鳥定食」1,250円

その中でもわさび和えが絶品とのことで1度行ってみたいと思っていたお店だったのです。
料理はごはんから時計回りに漬物、正肉とつくねの焼き鳥2本、竜田揚げ風から揚げ、わさび和え、お吸い物。
やはりわさび和えが絶品でしたが、そのほかのどの料理もおいしく、ごはんまで美味しいのです。

大磯に足を延ばしたときは、このお店とてもおすすめですよ。

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