☆おかげさまで10周年☆

2012年11月1日にここ鎌倉の由比ガ浜で開業してちょうど10年になります。
なので、由比ガ浜で開業したのは2002年11月1日。
でも、鎌倉で開業したのはその1年前の2001年6月。
自宅と施術のスペースを併設したやり方です。
その間の1年5ヵ月はテナント探しと更なる開業資金をためるために走り回っていた時期でした。

振り返ればここで開業した初日は小雨の降る寒い日でした。
当時の天候を調べれば、早朝は13℃、夜は15℃という気温でしたが、正午にその日の最低気温を記録する11℃しかない寒い日です。
やはり当時の記憶は正確だったようで、それだけその初日に力を注いでいたのかもしれません。
何のコネもツテもなく、夫婦2人で2001年5月にこの地に降り立って、自宅で細々とやっていただけなので
『こんな寒い雨の日に誰か来てくれるんだろうか?』

と、いう不安が非常に大きかったものです。
その不安をよそに自宅でやっていた頃の方が何人か予約を入れてご来院頂きました。
あの感激はた一生忘れないだろうな。

それからざ~--っと10年。
まぁ色んなことがありました。
そんな中で1番自分の財産になっているな、と思うのは本当に様々な方々との出会いです。
例えば11月1日~3日までの間でこんな嬉しいことがあった、というエピソードを少々。

11月1日に来てくれた方は40歳代の女性です。
この方の初診は由比ガ浜で開業して半年後の2003年6月。
戸塚からHPを見て来てくれて、以来年に5~6回のペースで来てくれていたのですが、2007年に10月にご主人のお仕事の都合で広島県の福山市に家を建てて住む事に。
その後も、この女性のご実家が埼玉県ということで、ご実家に帰省されたときにわざわざ日高市から鎌倉まで来てくれた事もあるのです。
彼女曰く
「福山にも治療院はいっぱいあるのですが、なかなかよそに行く気がしなくて」
その彼女が10周年の11月1日に福山から来てくれました。
その日の7時44分の新幹線に乗って3時間半をかけて。

11月2日に来てくれた方も40歳代の女性です。
この方の初診は由比ガ浜で開業して1年後の2003年10月。
行きつけの美容院やご近所の方何人かから評判を聞いてやってきました、とご来院頂きました。
この方の主訴はメニエル(めまいです)で、かなりの重症でした。
めまいが出ると何日かは外出が出来ないほどの状態との事。
この方から頂いた嬉しい言葉は
「アロハカイロさんにお世話になって9年になりますけど、おかげでここに通っていたら副鼻腔炎で耳鼻科へ行くのを除いて他の病院に行かなくてすむようになりました」
「めまい、肩こり、疲労、自律神経の症状といっぱいあってそれまで色んな病院通いをしてたんですよ」

11月3日に来てくれた60歳代の男性は紹介来院で初診の方です。
紹介頂いた方々が30歳代のお母さん→小学校6年生の女の子→60歳代のおばあさん・20歳代のおじさん→60歳代のおじいさん、
(続き柄は小学校6年生の女の子からみてという関係になります)
と3世代一家ぐるみでここアロハカイロ&フットパラダイスに来て頂いているのです。
さて、この60歳代初診の男性の症状はめまい、自律神経失調症と足の冷え。
定期的に通っていたカイロプラクティックの治療院があって、そこに通っているうちは症状の悪化は少なかったそうです。
が、残念なことに7年前にそこの先生がお亡くなりになり閉院してしまって、どこか良い所がないか探しているとの事です。
で、お越し頂いたのが東京の白金から奥様の運転する車に乗って。
先程の3世代一家ぐるみで来て頂いているご家族から
「あそこお勧めだよ。」
と、言われて施術を受けるために鎌倉まで足を運んで頂いたのです。

世の中には良い病院・治療院に巡り会えなくて、さまよっている人がこんなに多くいるんだな~
そんな中で選択肢の一つとして選んでもらえてよかったな~
と、いう実感を得られるのです。
こういう感慨は1日中同じ工業製品を相手にしている仕事よりは深く得られるんじゃないのかな。
振り返ってみると、先程書いたように多くの方と出会い、色んな経験をさせて頂いたというのが財産になっています。
この10年で多くの方々と時には深く、時には浅く縁をもってきたのですが、月並みながら [一期一会] というのは本当に大事なんですね。
これからもがんばろ!


☆ブレない理由その2☆

前回我が家は買いだめをしない。
いつも通りの生活を少しも変えない。
その理由は鎌倉という街の情報をかなり詳しく知っているから、ということでした。

そして、2番目の理由は骨の髄まで浸み込んだ習慣です。
買いだめをしないというより、出来ない習慣です。

その大きな理由が冷蔵庫。
2009年夏まで我が家の冷蔵庫は容量が100リットルほどの2ドア物でした。
これは私が1990年に一人暮らしをした時に買ったもので、単身者向けの冷蔵庫です。
上が冷凍庫で霜取り機能がないので、すぐに5センチほどに霜が成長(?)し、年に3~4回はナイフとかなづちで大工仕事のように霜を削り落とさなければいけない代物でした。

結婚した時(1995年)買い換えればよかったのでしょうが、
まっ、動くからいいや!
という妻の一言でその後も2009年まで使うことに。
冷蔵庫の容量が単身者分な訳ですから、結婚後もその日必要な分だけ買わないと冷蔵庫に収まりきらない。
この生活が14年続いた訳ですから、必要なものだけしか買わない、というのが習慣となってしまうわけです。
で、2009年に容量がアップした3ドア冷蔵庫に買い換えた時に撮った画像がこれ。

 
reizouko.jpg

 

内容物は2ドアに入っていたものを移し変えた時のものです。
容量が増えたから買う量が増えたかというと、骨の髄まで浸み込んだ習慣からなかなか抜け出せず、結局いつもこの画像程度に加えてその日買った食材を入れておく、という感じです。
ちなみに地震当時も冷蔵庫の中はこの程度で、以降も買いだめということを一切していないのです。
(ストックを常に持っていないと不安という性格の人には卒倒しそうな内容でしょうが・・・)

さて、3番目の理由は☆引越しバタバタ顚末記その1☆でも触れた事なのですが、1995年の1月1日付けで大阪から東京へ転勤し、ホテル暮らしをしていた1月17日に「阪神淡路大震災」が起こりました。
私はその震災があった週の週末に大阪の自宅へと帰り、その後引き継ぎ業務で、会社の後任とあちこち回ったのです。

その折いつも気にかけていたのが、阪急神戸線沿線の街の様子。
私が生まれ、少年期まで過ごしたのが宝塚や武庫之荘という街だったからです。
その後、何度か引継ぎや引越しをかねて、大阪に帰っていたのですが、帰るたびに神戸の町の復旧が進んでる。

会社の先輩も、
「日本人っていうのはすごいな!」
と驚嘆していたのが強く印象に残っているのです。
だから、多少物が無くなっても大丈夫だろう、と楽観視できたのかもしれません。

そして、4番目の理由が1番大きいのかもしれません。
地震後10日ほどはスーパーの入り口から入場規制された人たちの長い行列が出来ている。
それを見た瞬間に、

うへ、あんな行列に並んでまで卵1パック買えるか!

と思ってしまう。
要するに私が行列に並ぶのが大嫌いな・・・いらちな大阪人だからなのでしょう。


☆ブレない理由その1☆

東北関東大震災から10日ほど経ちました。
身の回りの人でなにやら縁のある人の安否はいかがでしょうか?
さて、震災から少し時間が経ち、私も冷静に自分の身の回りで起きてる事を整理して考えられるようになったのでそんな雑感を少々。

我が家での通常の1日の買い物のスケジュールはどんなものかというと、
朝、治療院へ徒歩出勤。
昼前に鎌倉駅の近くへ惣菜をお買い物。
夕方は夕食の食材をスーパーや個人商店にお買い物。
私は治療院を閉めた後、スーパーかコンビニで夜のバーボンのおつまみにチョコレートかポテトチップスを買って帰る。
和食が多い夕食。
2階のリビング(和室)で寝るまで歴史小説を読みながら、バーボンを飲んで、ベロベロになって就寝。
と、こんな感じです。

買い物は家の在庫が無くなった物や、1回分の食材を必要なだけ買う、というスタイルです。
このスタイルは地震の直後から今まで1ミリも(こんな表現おかしいのですが)ブレていません。

例えば震災時はカイロプラクティックの施術中だったのですが、停電の中で普通に施術を終了。
その後の街の様子は前回のブログ記事でご紹介の通りです。
その後にも入っていたご予約も通常通り行い、その日は停電が長引きそうなので5時で終了。

お隣さんから
「東急ストアは全くだめで、駅前のコンビには長蛇の列でやまかスーパーが刺身をたたき売りしてたよ-」
との情報を頂いて、やまかスーパーへ行くと既に販売中止。

そこで、「鎌万スーパー」へ行く事に。
このお店は野菜と魚中心のお店で、レジ方式なのですが、レジのおばさんがよくもこれほどの品目の値段を暗記しているものだなと感心させられるのです。
大手スーパーもコンビにもバーコードでレジと在庫管理が出来るPOSシステムを導入してるから、電気が止まるともうバンザイ状態になってしまうのは火を見るより明らかなので、こういった値段を暗記しているようなお店に向かったのです。

案の定、お店はやっていて店頭で刺身を叩き売りしていたので、ぶりとまぐろを半額ほどで買いました。
その後、ふと私は重大な事実に気づきます。
今夜飲む分のバーボンが無い!

そこで、こちらにご来院されている方から贔屓にしていると聞いていた御成り商店街の「河本酒店」を覗いてみることに。
やはりここにも酒好きが何人か買いにきていて、バーボンを探すとあった!
しかも、値札のシールが貼られている。
個人商店でしか見かけなくなった、あの値札シールです。
で、酒屋の人はレジを開けたままで、シールをノートに貼り付けて(これが売り上げの把握になるのでしょう)
電卓で計算してお金のやり取りをしているのです。
懐かしい風景です。

私が中学生の頃(昭和50年代半ば)までは当たり前にやっていた光景です。
そして自宅に帰り冷蔵庫を開けるとほぼ何も無い!
野菜室に水菜と白菜と何かが少々。
「きゅうり無かったけ」
「1本だけあるある」
「じゃあ、それを千切りにして使おう」
お米は今夜分だけあるので、それをいつものように土鍋で炊いたのです。
(以前☆旨いめしが喰いたい☆で土鍋炊きの美味さに取りつかれた話を書いてます)
これであつあつご飯にいつもより量の多い刺身と白菜の煮物に水菜ときゅうりのサラダが出来上がりです。

停電中の食卓で2人して
「いつもと変らないか、ちょっと豪勢なんじゃない?」
と言いつつ、災害用ランプとろうそくの元で食事です。

さて、翌日以降も街はパニック状態だったようです。
スーパーやコンビにでは入場制限に長い行列。
それでも私達は普段、街の情報に精通しているので、必要なものを必要なだけ並ぶことなく、買い物する事ができました。

例えば、お米は「笹屋」で精米したてのミルキークイーンを2キログラム。
お肉は御成り商店街の「とり一」でムネ肉と手羽先を。
野菜はアロハカイロ&フットパラダイスと同じ商店街の「浜勇」で大根その他を。

要は日ごろからつき合いのある個人商店で買ったわけです。
「笹屋」も「とり一」も友達だし、飲みに行ったりする仲間だし。

さて、スーパーが復旧した翌日か翌々日の夜、いつものようにバーボンのおつまみにチョコレートかポテトチップスを買おうと立ち寄り、レジに並ぶと前の人がカートに2段買い物かごを入れ大量の買い物ををしている。
例えば500ミリリットルの水が1ダース(12本)入ったダンボールケースを5箱とか。
(そんな大量の水を買って風呂にでも使うのか?)
お米5キロの袋を3袋とか。

おや?

と見渡すと前の前の人もそんな感じでカートに上下買い物かごに食材が一杯!
隣のレジもそう!隣の隣のレジもそう。
そういう人達が5~6人ずつ並んでる。
その中に私だけが一人ポテトチップス1袋を握ってレジ待ちしている。
(この時期オレの買い方のほうが異常なのか~?)
話は次回に。


☆引越しバタバタ顚末記その3☆

 前回は 合計金額 四拾弐萬4千百八拾六円也 ¥424、186という請求書が送られてきたという話でした。
内訳は和室6畳、和室3畳、洋室4.5畳、台所、トイレ、風呂、ベランダ、天袋etc 占有面積47.56㎡内の全てを塗り替える(もしくは張り替える)
というものでした。
天井、壁、床・・・ベランダの物干し用にぶら下がってる金属製のフックや手すりまで含めて。
ペンキ塗りの単価は㎡あたり1,460円。
この値段はどんなもんなんだろう?
 
しかも、ワープロ打ちされた見積書の部屋番号の一部と日付を修正液で消して、手書きで数字が書き換えられている。
私達が退去する2~3ヵ月前に同じ棟の3階の人が退去したのですが、その見積書を使い回しているのがバレバレ。
この見積書の送り状には、敷金清算についてはオーナーと相談の上、確定金額を再度お送りしますとの文面がつけられていました。

これを受け取った時の私の感想は

ほぉ~そうくるか!

鍵の引渡し時に担当者にオーナーの奥さんとは全く見知らぬ関係では無いので、後にトラブルになるような事は勘弁してくれと釘を刺しておいたのに。
これでは喧嘩を吹っかけられたようなものだな。
という怒りと間抜けな小細工をしてる不動産会社の滑稽さが、ない交ぜになったものでした。

 たぶん、この流れからすると「宅地建物取引主任者」と「行政書士」の資格を持つ身内が言っていた事が予言となり、値下げはしたものの敷金を少し上回る修繕費用を要求してくるだろう。
それから3週間ほどした7月24日付けで来た請求書が以下の通り。
~・~・~・~・~・~・~・~・
工事代金合計 210,156円
消費税     11,673円 (210,156×0.05=10,508だし)
合計     245,149円 (210,156+11,673=221,829だし 
                 足し算も掛け算も間違えて2万円以上多めに請求してくるし・・・)
~・~・~・~・~・~・~・~・
5月25日に退去してからこの請求書が届くまでの間私はいくつかの調べ物をしていました。

 1つ目は旧建設省が提示していた「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」という本。
これを読む事により原状回復の考え方のあらましを知る事ができます
賃貸契約は長期の契約です。
その長期契約期間に賃借人が「故意」「過失」「善管注意義務違反」(善意を持って管理、注意する義務を怠った場合)などにより通常使用を超える損傷については原状回復する義務があるが、そうでない自然損耗、経年劣化の修繕費は既に家賃に含まれている。

 しかも、過失で建物に損傷を与えた場合でも、修繕費用は損傷部分の費用のみに限定される。
(前々回の話で私が大阪の賃貸マンションでカーペットをタバコややかんで焦がしてしまった場合がこれに当てはまりますが、修繕するのはあくまで焦げた部分のみでカーペット全体を張り替える費用全額を負担しなくてもよい、ということです)
その本では過大な原状回復費用を賃借人に負わせるのは無効とする京都地裁の判例なども紹介されていました。

 例えば、ホテルでの1泊を見方を変えて、チェックインからチェックアウトまでの1晩につきホテルの1室を賃借する短期契約と考えてみたらどうでしょう。
私の場合のように転勤に伴って転居先が決まるまでの間1ヵ月単位で滞在する事もあるでしょうし、著名人のようにホテルの1室で何年も生活する場合もあるでしょう。
そうなってくると1年を超える長期契約と考えられます。

 賃貸住宅の契約も同じです。
定められた賃貸契約の期間に使用者は常識的な範囲で(契約書にあるペット不可などの付帯条約を守る)使用している限り、自然に劣化してゆくものに関しては建物の所有者に原状回復の義務があるのは当然の事でしょう。
先程の例で引き合いに出した1年を越えるホテル滞在の人がチェックアウトする時、建物の壁に自然発生する結露による汚れのクリーニング費用をホテル側から請求されたら
普通の人は怒るでしょ?
なぜか賃貸住宅の退去時には家主が本来負担すべき、次の賃借人に綺麗に見せるための復旧費用を、賃借人に負担させるケースが横行しているようです。

 さて、調べ物の2つ目は神奈川県の行政書士が行っている相談会に行って現状について相談した事です。
その行政書士の見解も上に書いた通りの見解でした。

 調べ物の3つ目は(以前記事に書いた事があるのですが、私の性格は慎重で石橋を叩いて叩い
て・・叩きすぎて石橋を壊してしまうまで渡らないぐらいなのです)
セカンドオピニオンを聞くために宅地建物取引主任協会の横浜のとある支部に同じ相談をしたのです。
その方はかなりラジカルな方で
「あんたねぇ、その大家は次の賃借人のために見栄え良くして、次も入ってもらうために、あんたの敷金を流用しようとしてるんだから、さっさと訴えちまえ!」

-築40年目に入居して築43年目に退去して、新築以来何世帯が使用してきたかもわからないような部屋の原状回復に敷金の倍額請求される。
敷金返還をめぐって、こんなにあからさまに、でも、稚拙なやり方で他人の財産(敷金)を奪おうとしているのか?
あまり他ではこんな商売が横行している業界は見たことがない-

 さぁ、これだけ下準備を整えて、あとは不動産会社と交渉するだけです。
先程の「宅地建物取引主任者」と「行政書士」の資格を持つ身内に
「基本的に全て交渉は俺がやるから、法律的に間違いがあったり、契約上間違った理解で話しているようなら、修正するぐらいの役割でついて来てくれない?」
と、お願いしたところ、二つ返事で同行してくれました。
敷金返して、とお願いする交渉の時間は30分ほど。
お互いが声を荒げるシーンもありました。

結果ですか?
敷金20万円全額が即時に、私の口座に振り込まれました。

 あれから、10年ほど。
当時とは違い、インターネットも普及し、こういった原状回復に関するトラブル情報も数多く世間に共有されているだろうと思っていたのですが、まだまだ、家主が本来負担すべき費用を賃借人に負担させちまえ!という不動産屋さんが多々居るようです。

 もしあなたが賃貸住宅にお住まいでこういったトラブルに巻き込まれたくなければ、退去前に私がしたような下準備を十分しておくことをお勧めします。
行動するかしないかで結果は大きく変るかもしれません。


☆引越しバタバタ顚末記その2☆

 話は前回から続きます。
会社を退職するにあたって、1997年の10月に1ヵ月ほど物件探しをしていたある日のこと。
妻が
「すっごいレトロだけど住み易そうな物件見つけた。」
と報告してきたのです。
場所は文京区大塚。
鉄筋コンクリート4階建てのこんな感じのアパートです。

apartment001.jpg

 間取りは3Kで、家賃は共益費込みで9万円。礼金1ヵ月。敷金はなぜか2ヵ月分ではなく20万円。
そして築年数は・・・・なんと昭和32年!!
西暦では1957年なので入居時には築40年という物件です。

 さて、昭和32年というとどんな時代かと言うと、
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代設定が東京タワーが建設中の昭和33年で、その1年前という事になります。
(ずいぶん昔だ)

このアパートの台所のシンクにはたしか「帝都住宅営団」という金属製のラベルが貼られていたように記憶しているのです。
それを見たときは-帝都?第2次世界大戦前の表現みたいだな-と思ったものです。

 後で調べてみると、帝都という表現が無いただの「住宅営団」は戦時下に存在し、かの有名な「同潤会アパート」が前身でもあるようです。
そう考えれば、文京区の丸の内線茗荷谷駅の近くに同潤会アパートの大塚女子アパートがあったりして、当時はモダンな建物でそこの住めるのが憧れのような存在だったのかもしれません。

 さて、そのアパートでカイロプラクティックの専門学校に3年間通う生活を送るわけなのです。
専門学校にも、池袋にも程近く、閑静な住宅街の中にあり、昔ながらの商店街も残ってる良い場所で生活を送る事ができました。

 やがて、専門学校を卒業し、かねてからの願望だった鎌倉に住む、というめどもついた時期に賃貸住宅を解約・引渡しをする日が近づいた2001年4月のある日。
治療院で患者さんの待合用に置いてあった雑誌に以下の様な特集が組まれていました。

~引越し時のトラブル!こんなケースにご用心~

最近悪徳不動産屋と賃貸住宅退去時にトラブルが増えている。
手口はこうだ。
退去時に敷金を大幅に上回る修繕費を請求し、何度かの交渉の末、敷金全額分の修繕費を支払わされる。
この特集を呼んだ時は-そんな事もあるものなのか-ぐらいの印象でした。

 また、別の日に身内の人と食事をした機会があったのですが、私達が引越しが間近と聞くと
「敷金を大幅に上回る修繕費を請求して、そこから何度か修繕費を値下げして、敷金を少し上回るような見積もりを出して、こっちの善意で敷金ちょうどに負けておきましょう、という悪徳な手口をする不動産屋がいるから気をつけてね。」
この身内の彼は「宅地建物取引主任者」と「行政書士」の資格を持つ、その方面には明るい人なのです。

念入りに2人で掃除をし、あとは鍵を引き渡すだけという状態で約束の日の5月25日に待っている時撮った何枚かの写真がこれ。

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不動産会社の担当の人がやってきて、無言でデジカメで室内をバシャバシャ撮りだすのです。

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「あ、そこは冬になると壁に結露が出来て、カビがどうしても生える所なんです。」
等と説明しても一切無視。
無言で撮影を続け、担当者は
「あとは書面にてご連絡いたします」

で、退去日から敷金の取り扱いについて何度かの催促をこちらからして(契約書上は退去日から1ヵ月以内に返還する事になってます)、
やっと2ヵ月後に届いた修繕見積もりがこういう内容で・・・・

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
          御 見 積 書
                      平成13年5月28日
○○号室様
                東京都知事許可(般09)第○×○×
                      有限会社 ○×工務店
合計金額 四拾弐萬4千百八拾六円也
以下に内訳
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

さぁ、あなたならどうします?


☆引越しバタバタ顚末記その1☆

 今回の話は前回の話と少しつながりがあります。
前回の話の中で、

----某不動産屋さん
「お風呂修理の件なんですけど。風呂釜を修理するのであれば大家さんにご負担いただきますけどね。風呂釜を全交換だったら借主さんと大家さんの折半と言う事になってますから。契約書にもそうなってますからね。」
この報告を妻から受けた時に私は
「そんなばかな!」
と、絶句したのです。
なぜ絶句したのかと言うと、まだそんな商売をやってるのか?という驚きが大きかったのです。----

まだそんな商売とは・・・本来、家主が負担すべき事を何も知らない居住人に押し付ける、という程の意味です。
賃貸住宅の退去時の現状復旧に関するトラブルはかなり社会問題化して久しく、そのために旧建設省の時代から「ガイドライン」を発行してきているのに、まだこんなやり方がまかり通っているものなのでしょうか?

 ここで私の賃貸住宅の履歴を振り返ると
1990年~95年までは大阪の城東区蒲生という街の1DKのマンションでした。
当時の私の職場はJR環状線 京橋駅に程近く、この駅の外側の街は上野アメ横と新宿歌舞伎町を足して2で割ったような雰囲気です。

この街の商店街にはサウナ「グランシャトー」があり、深夜のテレビのローカル枠でで少しエッチなシーンがあるCMで有名なんですが、
そのCMソングがまた出色なのです。

♪京橋はええとこでっせ、グランシャトーがおまっせ~

このCMソングがサウナ前では朝から繰り返し流れてる、夜は夜で飲み屋(女の子が横にはべるお店ですね)や風俗店の客引きがうろうろしてる。
そういう街をいつも突っ切って歩いて帰っていたのです。

 さて、退去時なのですが阪神大震災を避けるように95年の正月に東京へ転勤でホテル暮らし。
翌週引継ぎのために新幹線で京都まで行き、そこからは京阪電車で京橋までやっと行けるという状況でした。
そのときの土日と退去前の土日で荷造りをしたわけですから、どうしても室内の掃除がちゃんと出来ませんでした。

 しかも、当時の私は1日に2箱は吸うヘビースモーカーで壁はヤニだらけ、カーペットは焼け焦げがいくつもある、ヤカンを熱いままカーペットに置いて出来た直径20センチほどの焦げ跡もあったのです。
これは何かいわれるかな~と緊張して退去日を迎えたのです。
鍵の引渡し時に不動産会社の担当者が来たのですが、2,3分ざっと部屋を見回し
「はい、大丈夫ですよ。鍵を受け取ります。」
と、あっさりOK。

 次の賃貸住宅は1995年~97年で荒川区の西日暮里の2DKのマンションでした。
引越し前の私は小伝馬町のホテルに長期滞在をし、そこから日比谷線に乗って上野へと通勤する日々でした。
引越しをした数週間後に例の事件が起こるのです。
「地下鉄サリン事件」
日比谷線散布役の林実行犯は7時43分に上野駅から乗車し、秋葉原で大量散布。
乗客はすぐにサリンの影響を受け、次の小伝馬町駅で乗客がサリンのパックをプラットホームに蹴り出し、被害が拡大。
8時10分に乗客が車内非常通報装置を押すと列車は築地駅で停車。
私が数週前に乗っていた時間帯とドンピシャです。(引越しが遅れていたら私もサリンの被害にあっていたかもしれません)

 運良く東京生活をスタートする事ができた3年間でしたが、退職に伴い引越しする事になりました。
(それまでの賃貸契約は会社の借り上げ社宅だったからです)
この退去時は前回と違い、時間はたっぷりあります。
しかも、夫婦2人分で家財を出した後の室内を掃除できましたので、かなり綺麗にして部屋を返せます。

鍵の引渡し時に不動産会社の担当者が来て、ざっと見渡して言ったセリフは
「こりゃ、ひどい。直すのにずいぶんかかるよ。」
どこが?今あなたが見渡した視線の先に破損も汚れもキズも1つも無いでしょ?
というセリフを飲み込み
「退職に伴って退去しますので、会社に迷惑をかけたくありませんので、どうか過大請求しないようにしてください。」
と言って鍵を引き渡したのです。
どうやらあの口ぶりは鍵の引渡し時にいつも使ってる常套句のようです。
続きは次回に。


☆あたりまえが幸せその2☆

 話は前回から続きます。
10月9日(土)にお風呂が壊れてから、12日(火)メーカーのCさんが来るまでの間はここアロハカイロ&フットパラダイスは
通常営業しています。
担当の人が来る時間には予約をいれず、検査時間の30分前から夫婦のどちらかが自宅待機。
検査の間ずっと立ち会います。

 その折に、妻の居る時に某不動産屋さんから自宅に電話が入ります。
某不動産屋さん
「お風呂修理の件なんですけど。風呂釜を修理するのであれば大家さんにご負担いただきますけどね。
風呂釜を全交換だったら借主さんと大家さんの折半と言う事になってますから。契約書にもそうなってますからね。」

 この報告を妻から受けた時に私は
「そんなばかな!」
と、絶句したのです。
なぜ絶句したのかと言うと、まだそんな商売をやってるのか?という驚きが大きかったのです。

 さて、話は風呂釜修理の件に戻ります。
14日(木)に私が昼食に戻ると、妻から報告があります。
「ライフバルやその取引業者ではない、全く別の水周り業者さんから連絡があってね。
うちに来て風呂釜交換が出来るのか、出来るんだったらいくらになるか修理見積もりをしたいんだって」

 某不動産屋さんに問い合わせをすると
「ライフバルさんからの報告ですとね、熱交換器を交換してもまたすぐに壊れたしまうらしいんです。
そこで、風呂釜を交換せざるを得ないんですけどね、大家さんの意向で少しでも安い業者にやってもらいたいそうでね。」

 月・火・水とそれぞれ別の人がやってきて、小1時間検査に立会い、その間は予約を入れず自宅待機してきたのに。
その上、今までとは全く無関係な、これから修理できるかどうかも分からない業者の見積もりを待って、風呂釜を取り寄せるのに日にちをかけて。
それで、風呂釜交換代は折半?

 普段、ここ由比ガ浜では『温厚』が服を着て歩いている、と言われてる私でもこの瞬間には怒りが炸裂してしまいました。
(どんなに怒ったかは省略)

 身近に1時間は人と接する仕事なので、銭湯の無い日はバケツにお湯を汲んで風呂場で体を洗ってるなどの窮状を訴えると、幸い某不動産屋さんが理解を示してくれて、早速大家さんを説得してくれました。

 その翌日の15日(金)機転を利かせて親身に動いてくれた『ライフバル』のBさんが機材を一杯積んだ1BOXカーで駆けつけてくれました。
大柄なBさんが車を降りて玄関前でニッコリ微笑んでくれたのです。
(このときはBさんの姿を見て後光が指してるように見えたな~)
2時間ほどの作業時間で風呂釜交換終了です。

 その日の夜に実に1週間ぶりの自宅でのお風呂に浸かりました。
それまでの1週間は銭湯が8時までなので夜は大急ぎで自宅へ帰り、スーパーでお弁当用のソース入れを買ってきて、それにシャンプーとボディソープを詰め替えて、
「1日、2日でお風呂は直ると思っていたのに、何度も詰め替えて使ってるね-いつになったらうちのお風呂に入れるんだろうね~」
なんてシーンがあったのを、うちのお風呂に浸かりながら回想するのです。

 あぁ、今まで気づかなかったけど、自宅にお風呂があって、毎日入れるということは幸せなんだな。
2人で交通事故にあって、大怪我をして、病院で何週間も風呂に入れない時はツラかったもんな。
足にビニール袋を巻いてでも入浴許可が出た時は嬉しかったもんな~
私達は『それ』が在る事があたりまえだと思ってます。
『それ』が無いという事態になって初めてその大切さに気づきます。
 
 次回は、前回に-バタバタした話を挟んで、日常生活の『それ』が在るというくだらない話と『それ』が出来るという話です-
と書いた、バタバタした話を何回かに分けて。